182、スキューモーフィズム

ジョブズが発表した頃のiPhoneは、カメラなど本物に似せたアイコンや本棚などのアプリの表情にも、それまでの携帯の白黒テキストとは違った面白さを感じていた。このデザイン手法を、「スキューモーフィックデザイン」という。

そして、携帯市場でスマートフォンが大勢を占めて、日常的に使うことが増えると、画像データ量を抑えて表示を高速化すること・屋外でも視認性を高めることを理由に平面的な「フラットデザイン」が主流となってきた。しかし、スマホ画面に慣れないとボタンなどが識別しにくく、このデザインにも弱点がある。

そこで、Googleが取り組んでいるのが「マテリアルデザイン(フラット2.0)」だ。確かに、スマホ画面にならぶアイコンを見比べると、Googleのアプリには若干の遠近感や影の表現(質感)がある。デザインの世界の変化も激しいようだ。

さて、これらのデザインは現実世界である3Dをスマホ画面2Dにどのように表現するかが柱である。スマホ画面が3Dホログラムになれば、スキューモーフィズムの復活もあるだろうか…と考えていたら、ふと頭に浮かんだ。

この世界は、神々の世界のスキューモーフィックデザインではないだろうか。神々の世界に似せて創られているが、造形的にも精神的にも何かが不十分である。それは、神々の4D世界を3Dに表現しているからだ。今のところ、神々の世界でこの道具が流行していないが、八百万の神々が携帯するようになったら、その影響で世界のデザインがフラットになるのだろうか。もし、明日の朝目覚めた時に、自分の顔がアニメのようになっていても気づくことはないだろうが、せめて「どのボタンを押してよいか」世界の重なりが判断できるように、薄い影をつけておいてほしい。

(2019年10月20日@nortan)

73、三兎二兎一兎

職場に着く直前、車内は昔の流行曲に包まれた。久しぶりのAMラジオ。25年タイムスリップした感覚。当時、私にとって背伸びした流行曲のひとつ。いくつかのフレーズが、25年の時を越えた矢となって、心の中に飛び込んできた。「いくつのしゃぼん玉を打ち上げるのだろう♪」子どもの頃、大人たちが古い曲を「なつメロ」と呼んで聴いていたことを懐古趣味だと決めつけていた。そうではなかった。曲の方が時間を越えて、大人たちの心に届いていたのだ。名曲はメロディに乗って時を越える!「逃げ場所のない覚悟が夢にかわった♪」若い頃このフレーズは無用だったが、今は必要だ。「三兎を追わねば一兎をも得ず」と意気込んでいたが、やはり諺は的を射ている。「二兎を追う者は…」私に残されたしゃぼん玉は「一兎」か。スマホにダウンロードした長渕剛が、「それを逃すな」と私の覚悟を問いかけてくる。(2017年12月16日@nortan子どもたちが成人となった翌日)

69、メッセージ

楕円形の宇宙船が言語圏ごとに現れた。ただ静かに浮かんでいるだけ。各国の言語学者が謎の言語を解読し、コミュニケーションを試みる。…そして、雲のように消えてしまった。始まりと終わりだけを語ると静かな映画だ。派手な戦闘シーンがあるわけでもない。娯楽映画で癒されたい時は、視聴を薦められない。例えるなら、SF映画の型を借りた哲学書であり、見る者に問いかけてくる。まず、「言葉の壁がなくなれば、人類はひとつ(平和)になれるか?」「言葉の構造が変われば、思考も進化するか?」という問い。次に、「未来の出来事が見えても、今を懸命に生きることができるか?」という問いである。結局、宇宙船の住人は「300年後に、人類の力が必要になる。」とメッセージを残して消えてしまう。「私のメッセージヘの答えは?」と何度も繰り返される余韻が、心地よい。(2017年11月27日@nortan)

38、水の記憶

「僕は 風に立つライオンでありたい。」は、さだまさし『風に立つライオン』のフレーズ。「暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく。」は中島みゆき『ファイト!』のフレーズ。両曲とも、くじけそうな自分の心への応援歌として聴き、口ずさむ。私にとっての名曲である。百獣の王のたてがみは風にむかうからこそ立派になびくのであると納得して、魚のうろこについて考えた。魚は陸上の脊椎動物の祖先である。海から川にのぼり、両生類・ハ虫類・(恐竜)鳥類、ホ乳類へと進化を遂げた。そこに魚の意思はあったのか?どうして陸をめざしたのか?天敵から身を守るための進化・適者生存たったといえるのかもしれないが、単純に『うろこの向きが原因』と考えた。魚のうろこは後ろ向きについている。ゆえに、魚となった時点で『流れに逆らわなければならない宿命だった』のだ。もし水の流れに逆わなければ、うろこは逆立って剥がれ落ちてボロボロになってしまう。地球の主役は、数々の絶滅と誕生を繰り返してきた動物ではなく、誕生してから天と地の間・陸と海の間を絶えることなく循環してきた『水』なのかもしれない。私たちの身体に入った水も、私たちの身体を循環して、私たちの記憶とともに大地にもどっていくのだろう。時には、紡錘形のうろことなって目から流れ落ちる水もある。人間も時の流れに逆って生きる宿命。顔も前向きについている。「前へ!」辛い出来事を乗り越える力もあるはずだ。「涙の数だけ強くなれるよ。アスファルトに咲く花のように。」は岡本真夜の『TOMORROW』のフレーズ。あなたの目からこぼれ落ちた涙も、名曲とともに水の記憶となって大地を循環し、いつかみんなの記憶となる。一人じゃない。(2016年5月1日@nortan)

17、そうかい

名優・笠智衆演じる主人公周吉。妻とみとの会話で静かに「そうかい…」と呟く場面が瞼と耳に残る。未来に残したい映画として、世界中で支持される小津監督の「東京物語」をようやく視聴することができた。1950年代初め、終戦を乗りこえ経済成長をはじめたばかりの日本の風景、街並み。モノクロームで、どことなく懐かしい。妻とみの葬儀後、仕事の忙しさを理由に東京に帰る子どもたちに「そうかい。もう帰るのかい。いやぁ一」とぽつりと呟く周吉。「もう少し、居ればいいのに。」とは決して言わない。経済成長まっしぐらの世の中、大切なものが家族から仕事に変わった。周吉にとって「いやぁー」が精一杯の自己主張だ。我が父も、10才の夏、ラジオで敗戦を聞いた世代。平素、我を主張する姿は見たことはないが。ただ1度だけ、退職前に酒に飲まれて息子に不満をぶつけたことはあった。その後は、結婚・転居・手術など人生の決断を「そうか。」と息子に委ね続けた。「東京物語」を2度見直した。周吉も旧友との久しぶりの酒に「わしも不満じゃ。」と心奥をもらすが、その後「それは親の欲と云うもんじゃ。」と自分を抑えこんでしまう。周吉の「そうかい…」と父の「そうか。」が重なった。見終わって、林檎の匂い(己羅夢11)というより、田んぼの土の匂いがした。戦後70年、豊かな日本に生まれかわることができたのは、必死に働いた世代があったからだけでなく、黙ってそれを見守り、新しい時代の肥やしとなった世代があったからだと理解する。透析と介護サービスの日々で、「今日は、どうだった?」の会話に「おう。」としか言わなくなった父に、モノクロームの時代を思う。(2015年12月10日@nortan)

13、この空を飛べたら

聴きたくなる曲がある。「ああ、人は昔々、鳥だったのかもしれないね。こんなにも、こんなにも空が恋しい。」とは中島みゆき作詞作曲の加藤登紀子の名曲。37年も前に発表されたのに、心の中に染みこんで、時に瞳を湿らせる。少しさみしいメロディーと歌詞が、バラバラになりそうな心に重力を取り戻してくれる。重力といえば、地上においては9.8ニュートン(N)/kgの力で、万有引カと地球の自転による遠心力との合力、地球の中心に向かって引っ張る。しかし、素粒子物理学では強い力・弱い力・電磁力につぐ4つめの未発見の力で、いちばん弱い力、重力子(グラビトン)だと考えられている。大きな世界(宇宙)と小さな世界(原子)を統一すると期待されるひも理論である。「重力が一番弱い?」と疑問に思うが、そうでないと足の裏を構成する原子が重力に負け、地面を構成する原子どうしのすき間にめりこんでいくのだそうだから恐い話である。そうならないのは、足の裏と地面の間に「原子レベルの空」があるから。「ああ、人は、そう考えると、鳥なのかもしれないね。こんなにも低いけれど、空を飛んでいる。」曲を聴いて、ちょっぴり元気になったら、両手を広げて再び希望の空に羽ばたこう。(2015年12月1日@nortan)

11、林檎の匂い

小津安次郎監督の東京物語(1953年)が、イギリスの雑誌で世界一の映画に認定された。その理由のひとつは、優しさを感じさせるから。調べると、アジア映画TOP10の1位にもなっている。このニュースに、昭和の懐しさを感じながら、銀河鉄道の夜(宮沢賢治)を鑑賞した。中学時代に文庫本で読み、最近2度下見して、3度目の落ちついた鑑賞。東京物語よりも古い戦前の昭和と賢治の世界。サザンクロスに向かう列車に乗車しているように感じた時、突然「りんごの匂いがしてきた。」…「何か幸せなのか分かりません。どんなつらいことでも、それが正しい道を歩む中でのことなら…。」のセリフが心の中に飛び込んできた。林檎の仄かな匂いを感じられる心境、それが幸せなのだと理解した。つまっていた左目の涙腺から涙が流れた。賢治とは別の時代を生きていると決めつけていたが、人の心は何も変わっていないのだ。人の無意識のしぐさ、左に目線を移すのは過去を思い起こしているのだそうだ。人生の折り返し地点を越えると、左を見ることも多くなるのだろう。最近、動画配信サービスで外国テレビドラマにハマっていた。パラレルワールドや未来へのタイムトラベル。予想もしない展開に娯楽性、仕事の疲れを癒してくれたが、日常逃避、右ばかりを見ていたかもしれない。人生の折り返し地点を越えたと実感する年齢。過去の自分と向き合うために、林檎をかじりながら東京物語も鑑賞してみようと思う。(2015年11月28日@nortan)

10、素朴派

職業を別にもちながら、絵画を描いた19世紀~20世紀の画家を「素朴派」と呼ぶそうだ。アンリ・ルソーは、パリの税関職員でありながらの日曜画家だった。「眠るジプシー女」は中学生の頃、県立美術館で出合った記憶がある。有名な作品の多くは、絵に専念するために退職した50才代に描かれたものだ。ゴーギャンやピカソなど一部の画家に評価されたものの、広く評価されるようになったのは晩年だそうだ。先月、先輩が退職を契機に開かれた絵画個展に伺ってきた。当時から絵画制作の世界の話を聞かせてもらっては驚き、大学の講師枠にチャレンジしたことを聞いては、その志の高さに関心したことを思い出した。県立美術館の壁に展示された多くの作品の中で、当時の絵はどれですかと尋ねたら、そこには巨大なキャンバスに描かれた力強い山があった。日常の暗鬱としたものを晴らすために長野の山に一人登って打ち込んだ作品だそうだ。先輩の当時の年齢に追いついた私に「君も登ってこい。」と語りかけてくるが、麓にもおよばない。せめて、己の前に立ちはだかる壁を乗り越える力となるよう、その絵を瞼に残して館を後にした。20年前、目の前の壁に自己流で挑もうとしていた私に「来年は、一緒にやろう。」と温かい声をかけてくれた。その素朴な一言が、壁に負けない力となった。ルソーの「猿のいる熱帯の森」を鑑賞しながら、先輩も素朴派であったと感謝の気持ちが込み上げてくる。(2015年11月22日@nortan)

4、睡蓮

印象派の流れを創ったフランスの画家の展覧会が始まった。クロード・モネは、光と色彩の変化を追究した「光の画家」である。妻をモデルに「緑衣の女性」と対比して「ラ・ジャポネーズ」を発表したり、自ら手がけた「水の庭」に日本風の太鼓橋を渡したりするなど、日本の風物に魅せられていく。池の周囲には桜や竹、柳や藤も植え、睡蓮も日本から取り寄せたそうだ。睡蓮は、日本では未草(ヒツジグザ)とも呼ばれる。地下茎から水面に葉を伸ばし、夏~秋に白い花を水面に伸ばして咲かせる。ヒツジの刻(午後2時)ごろに花を咲かせるが、夜になると閉じて睡眠する。ゆえに、「水」蓮ではなく「睡」蓮である。3回ほど花を開いた後は、散るではなく、閉じたまま静かに沈んでいく。仏様の台座である蓮(ハス)との違いでもあり、日本の代名詞である桜の散り際とも対比できる。「桜、舞い散る。」「紅葉、舞い散る。」と圧倒的色彩を放つ風物ではなく、静かに白い花を水面に咲かせ、静かに消えていく睡蓮をモネは愛したのだろう。晩年は、それしか描かなかったと言われる睡蓮の連作は200作品にものぼる。モネの商売上手もあって、世界中の美術館や個人収集家のもとに存在する。モネは遺言として、「睡蓮」を展示する時は自分の他の作品と一緒に展示しないこと、作品と人の間に物を置かないことの約束を残した。先日より仏国では、夜も眠れぬほどの騒動である。日本の学生もホテルで外出禁止となり、美術館等の公共施設も閉鎖と聞く。モネの肖像画が「睡蓮連作を世界中から集めて、鑑賞してほしい。」と語りかけてくるようだ。人と人の間の垣根を取り払って。(2015年11月15日@nortan)