190、私でない

「私」のほとんどは私でない。体内外に共生する細菌群集が、細胞数で100兆個・体細胞の10倍。質量では1400gで、脳や肝臓に匹敵する。また、腸内細菌は個体間で90%程が異なっていて、健康問題にも影響しているという。DNA検査法の進歩で、科学的に実証されてきているというから驚きだ。

これらの新知見に合わせるように、体脂肪や血圧を下げる○○ヨーグルトなどの機能性食品も人気だ。いわゆる、腸活だ。腸内の細菌は、伝達物質を出して私たちの脳とコミュニケートしている。つまり、行動や性格にも影響を与えているというから、さらに驚く。

昨夜、テレビを点けたら「宇宙人が巨大なキュービックに乗って地球にやって来て、新しい人類を創った。宇宙人は神である。」なんて力強く語っていた。そしたら、ふと「細菌が巨大なキュービックに乗って人間にやって来て、新しい人類を創った。細菌は神である。」なんて思えてきた。

私たち人間は主体ではなく、遠い宇宙からやってきた細菌たちの巨大な「乗り物」で、そのことに気づかないように操作されてきたのかもしれない。

灯台もと暗し。宇宙人はミクロな世界や自分の中に存在しているのかもしれない。

さて、年末の帰省で少しさみしくなったファミレスのモーニング。ミクロの宇宙人たちが、私の体内に乗船してきた。早く腸に辿りつけるよう、野菜ジュースで流し込んでやった。

(2019年12月29日@nortan)

177、市井の人

リチウムイオン二次電池(LiB)の開発に貢献した吉野彰さんが、ノーベル化学賞を受賞した。2002年に同賞を受けた田中耕一さんと同じく、市井の研究者だ。

最古の電池は紀元前のバグダット電池。金属メッキや治療に使われていたなどと推測されているが謎である。また、マンガン乾電池は30年程前までは主流で、その後、アルカリ電池・ニッケル電池と進化してきた。しかし、逆方向に充電もできる二次電池は、コンピュータやスマートフォンなどの携帯電化製品を市井の商品とし、電気自動車の実用化にも貢献している。

近未来を想像してみた。朝起きると自転車をこぐ。帰宅後も同様だ。太陽光発電が十分でない曇りや、風力発電のできない日は、いつもより長めにこぐ。今や、電気は作る時代だ。体力自慢の山田さんは、朝から夕方まで発電し、余剰電気を近所のお年寄りに安く分けて生活している。原子力発電所は蓄電所になり、税として集まった電気は学校や病院などの公共施設で使われている。通貨もW(ワット)になり、銀行は金庫の代わりに大きなLiB庫に電気を蓄えている。企業は、体力のある社員を奪い合うようになり、新入社員研修は日本一周サイクリング…

何だか変になってしまったが、市井の研究者の発明が、世の中を大きく変えることだけは間違いない。

(2019年10月14日@nortan)

160、自意識

先日、突然に思考力が弱くなり、時間の本流から脇道に投げ出された。空気となり、周囲に溶け込んでいくような感覚。自意識が消えていくような感覚。しかし、絶対的な恐怖は感じない。もしもの時は、何処かで人生の再出発か?と自分をなだめながら数時間。いつしか、それらの感覚は消えていた。あれは何だったのか?こんな体験をしてから、自意識よりも大きな何かを考えるようになった。

デカルトは宗派対立の中、我思う(コギト・エルゴ・スム/104己羅夢)ゆえに我ありと、神を中心とした全体世界から、科学的思考を中心とした精神世界の土台を開いた。しかし、今、デカルトを疑っている。一瞬だが、自分よりも大きな全体意識、つまり越時元の何かが存在するかもしれないと感じ始めたのだ。

SFの話。新スタートレックに、過去に遡り地球を同化しようとする機械生命体ボーグと戦うストーリーがある。同化されると全体意識の一部となり、スマホもWi-Fiもなく思考を共有する。そして、更なる進化のため他の知的文明を同化(侵略)して、文明の知識を蓄積していく。これは、私たちの情報化社会の行きつく姿と考えられないだろうか?有機体と無機物の壁がなくなり、記憶装置などが人体と接続できるようになると、人間を(サイ)ボーグ化できる。現在の科学力は、それを実践するための土台である。

SF話の結末。ピカード艦長はボーグに同化されていた過去の心地よさも理解している。それを知る集合体の女王に、それでよいのかと問われ、苦しみながら自意識の存続を選択する。コギト・エルゴ・スム、デカルトの決断である。

さて、人類全体の進化課題は、バベルの塔の建設で神によって分断された各文明・社会の再集結である。

しかし、個人としての成長課題は、家族によって保障された安全地帯からの分離独立である。

この相反した全体意識と自意識、「私たち」と「私」の共存によって「私(自分)」は存在している。はたして、思考しているのはどちらなのか。次に同じような感覚が訪れた時、目の前に現れるであろう存在に尋ねてみたい。(2016年7月6日@nortan 昨年に続き、早朝に蓮花見をした日)

148、勘違い

東から昇った太陽が、南の空を通って西に沈む。事実は、地球が東に向かって自転しているのだ。

サイコロを5回振ったら、1の目が5回続けて出た。確率は「1、1、1、1、1」も「1、5、2、3、6」…も、同じ6の5乗分の1だ。

大昔、祈祷師が雨ごいをしたら、数日後、祈りが天に届いて雨が降り出した。彼は天に通じる神通力をもっている。今で言えば、週間天気予報で雨が降ることになっていただけなのだろう。

会社の赤字を黒字に回復した。ワンマン社長が、私の実力だと思った。そう思うのは勝手だが、社員たちの努力や知恵に感謝しなければならない。また、成功したのは、私の努力の賜物だと思う。それは、生まれた環境と育った環境、少しばかりの幸運に恵まれていただけなのかもしれない。

科学の発展で私たちの文明は進歩している。未来はもっと豊かになり素晴しいと推測する。しかし、科学の進歩と裏腹に、人間の脳や心は退化し、種としての寿命は終末に向かって突き進んでいるのかもしれない。もし、地球外知的生命が地球人を発見していたとしても、会いたいだろうか。

「我思う。故に我あり。」自分の存在を疑っている私が実在していることだけは疑えない。デカルトによる意識の発見である。しかし、本当は、意識ですらプログラムコードで、私たちは仮想世界の実験的存在(実在)なのかもしれない。

ああ、私たちが気づくべき勘違いは幾つあり、気づかないほうが幸せな勘違いは幾つあるのだろうか。(2019年3月20日@nortan)

143、言葉あそび

メッセージに「143.」と届いたら…。ヒントは、文字の数。「Ⅰ like you.」も「I miss you.」もそうだが、愛の囁き「Ⅰ Love you.」というスラングらしい。だから、返信は「143,too」。同様のことを昔のポケベルで表現すれば、「332185」「65042375」ということになる。しかし、これは仮名を2ケタの数字に置き換える工夫で、完全復元可能だ。一方、「143.」は一意に復元不可能だ。どこか人工知能的だと感じた。膨大な言語データを検索して統計的に解を導かなければならないから、人間にとってはお手上げだ。

こんなふうにして「143.」が使われているとしたら、知らぬ間に人類の脳は深層学習ができるようになっているか、または、確率的に計算できる量子コンピューターに進化したか…。結局のところは、昔からある「言葉あそび」の一種というのが正解だ。しかし、それがすごいのだ。なぜなら、AIにはそれができない。意味を理解できないから「言葉あそび」もできないのだ。例えば、AIに恋をして「143.」と伝えても、「(Next number is)144.」と返ってくるのが精々だ。

さて、「144」をネットで検索すると、「あなたが一番願っていることが実現します。あなたの片思いが終わりを迎えようとしています。」という答え、エンジェルナンバーにヒットした。

「143.」の答えは「144.」だった。

「言葉の意味が分かっていない」とAIを馬鹿にしていたが、逆に「人間は、数字の意味が分かっていない」と教えられたようだ。ひょっとしたら、AIは私たちの知らぬ領域で「数字あそび」をしているのかもしれない。(2019年1月6日@nortan)

140、先行発明品

2001年のオーストラリアで「車輪」が発明されていた。見事に特許*を取得してしまったのだ。その上、ノーベル賞*にも選ばれた。何てことだ!と驚いたら、特許*とは、イノベーション特許(オーストラリア)のことで、ノーベル賞*もイグノーベル賞のことであった。全ては、イノベーション特許制度の無審査等を皮肉った出来事だったので安心した。

もちろん、私たち人間は発明好きである。ふとした思いつき・日常生活の何気ない物事から、莫大な研究費を要する最先端技術研究に至るまで、「これって発明?」という幅は広い。しかし、よく調べてみると「再発明だった!」(車輪の再発明)ということも多い。だから、先行研究や先行技術の調査は重要である。

さて、世界中で競い合っているAI技術。人間のように知覚し考える技術、人間のように歩き動きまわれる技術など、人間を越えれば「シンギュラリティ」と騒がれることになるが、今のところ「人間のように」が目標である。ならば、まさしく車輪の再発明ではないか。そこで、発明の終着駅を想像してみた。今や懐かしの映画「ターミネーター」のように人間の心の大切な部分が欠けるようでは「四角い」車輪の再発明だし、ロビン・ウィリアムズ主演の「アンドリューNDR114」だとAlmost「まるい」車輪の再発明だ。数学的に「円」は究極の多角形だから、それを超えるAIはNot AI=NAⅠ(ない)だろうとも想像する。

そんな冗談は置いて、遠い将来、終着駅にたどり着いた時、人類は車輪の再発明だと痛感させられるのか、それとも、それを知った上で「人類の命は尽きる。私たちの文明を君たちに委ねる。」とバトンを渡すつもりであるのか…。その時の特許*とノーベル賞*は、誰が授けることになるのだろうか?また、車輪の形は、凸凹はあるが雪道にも強い「スタッドレス」だろうか?先行発明品である人類の「心の仕組み」は、しっかり解明されるのだろうか?究極の円であるはずの私たち現生人類の悩みの種は尽きない。(2019年1月1日@nortan新しい時代の始まりに)

138、クラウド

パソコンやスマホを動かしているOSとアプリ。今では、インターネット経由・Wi-Fiでの更新が当たり前だ。店でパッケージになった新商品を購入し、家でCDをパソコンに入れて更新していた時代からすれば、ますますソフトウェアの形が見えなくなってきている。世界初のプログラム。それを運ぶように頼まれた者が「重さは、何kgだ?」と尋ねた。「重さはない。」と答えると、「それでは、運べない。」と言う。正確には紙にあいた穴がプログラム自身の重さだが、仕方がないので紙の重さを伝えたという話もあるそうだ。穴をあけたり、0と1の数字やプログラム言語で表記したりするのは、人間とコンピュータのやり取り上の都合であるから、そもそもソフトウェア(プログラム)には形も重さもない。雲をもつかむような真実なので「クラウド」という表現がぴったりする。今や、更新プログラムは空から降ってくる時代だ。

数日前、スマホに「OSの更新」が届いた。更新ボタンを押すと画面が変わり、ダウンロードとインストールが終了するまで10分程。随分早くなった。昔はダウンロードに夜から朝まで数時間もかかったことを思い出した。今では、使っていない時に分割してダウンロードし、完了したら通知してくれる。夜通し気にかける必要もなくなった。

さて、ここ数日、1年の疲れか年齢のせいか、体を横にすると睡魔に襲われる。気がつくと小一時間程経っている。ひょっとしたら…、クラウドから更新プログラムを分割ダウンロードしているのかもしれない。そのうち、目の前に「更新しますか?OK・キャンセル」なんて表われるかもしれない。その時は、どうしたものか。OKを押して目が覚めたら、苦手だった微積分の計算がスラスラ解けたり、外国語がペラペラ話せたりすれば素晴らしい。しかし、年齢に応じた仕様変更プログラムやバグを含んでいたらキャンセルだ。更新の詳細を読んでからにしよう。いや、それすらない自動更新?送り手は、神様?宇宙人?こんな空想に取りつかれてしまった。

空想はここまでにしておきたいが、人生の3分の2は睡眠。人は、どうして眠るのか?「寝ている間に、副交感神経が…」とか「寝ている間に、記憶の整理を…」とか「夜に適応するため、遺伝子に…」の他に、新奇な答え「クラウド説」を発見したかもしれない。(2018年12月26日@nortan)

137、不確かさ

宇宙の誕生として推測されるハッブル時間が、約137億年。また、33番目の素数が137。でも、自身を除く約数の和が137ではなく138なので、137は6のようなピタゴラス完全数ではない。さっと137について調べてみたが、それほど特別な数ではないようだった。

そこで、さらに調べると、ボーアの原子理論で原子番号137(仮名ウントリセプチウム)が最後の重元素だと予想されていることが分かった。それは陽子数が138になると、理論上電子速度が光速を超えてしまうからだそうだ。この時、登場するのが微細構造定数αの逆数137。難しくて充分に理解できなかったが、重力Gと同じく宇宙を成り立たせる、電磁力と光子に関する大切な定数だということが分かった。約137は、この宇宙を支配する定数なのだ。ヒッチハイクをする時に、137と書けば、それを見た物理学者が拾ってくれるというジョークまであるようだから、約137がとんでもなく特別な数に思えてきた。

実は、この約137。まだ充分に解明されていないようだ。他の結合定数は、多元宇宙それぞれで異なることができるが、αは変わらないとか、変わるとか。137.035999160(33)と最後の2桁が常に不確かで、定数といわれながらも定められないとか。こんなはっきりしない「約137」が、私たちの宇宙を、未来を支配しているのか!?と心配にもなってきた。

しかし、それは逆に考えると、私たちの運命を宇宙が定めることはできないということだ。ひょっとしたら、この「不確かさ」こそが重要なのかも知れないと思えてきた。枕元に靴下を置く子どもを卒業して随分たつが、クリスマスに素晴らしい贈りもの「未来は決まっていない」というメッセージを受けとった。(2018年12月25日@nortan)

136、言葉の色

京の都で帰り際に「お茶漬けでもどうですか。」と言われたら「ありがとう。でも、結構です。」と断わるのが正しい返答である。桂米朝の「お茶漬け」をYouTubeで聴きながら、あらためて日本文化、特に京の文化は奥深いと思った。

日本で生活を始めた外国人が戸惑うのが、思ったことを遠回しに伝える文化らしい。私たちは、それを遠慮とか謙虚とか「空気を読む」とか表現する。だから、異なる文化と出会った時、私たちの表現では通じない。できる限り率直に分かりやすく伝え合う必要がある。言葉には、そのままには受けとれない色があり、それは幼い頃からその文化圏で育つことで染まるものなのだ。

しかし、世界の成熟した言語に共通なものもある。それは、イロニーである。おそらく、原初言葉は語彙だけで「風呂?」「寝る?」的な会話だったろう。そして、組み合わせという文法で「風呂に入ってから寝る?」と順序も表現できるようになった。その後、文化的色が加わり「風呂に入ってから寝る(今日は疲れたでしょう)?」の隠喩や「風呂に入ってから寝る?(今日も会社の飲み会だったの!このところ毎日ね!)」の皮肉(イロニー)も含むようになったのだろう。

さて、だから人工知能の最終目標は、「空気」ではなく「言葉の色(イロ)を読み取ること」だ。回転寿司の受付をプログラム通りにこなすだけでなく、お客の冗談や駄洒落を聞いてタイミングよく笑ったり、「このところ、お疲れのようですね。お寿司を食べて元気をつけて下さい。」と癒してくれたりすれば素晴らしい。もし、実現すれば、日本文化の代表として諦めずに国際会議で商業捕鯨について熱弁をふるってくれるに違いない。

ところで、回転寿司の帰り際、そんな人工知能に「お茶漬けでもどうですか。」と誘われたら、何イロで返答すればよいだろうか。(2018年12月24日@nortan)

133、AICG

隣国でニュースキャスターという仕事が消滅しそうだ。日本でもNHKが、AIにニュースを読ませる試みをしているが、中国のAIではCGのニュースキャスターが本物と見間違わんばかりにリアルだ。本物のニュースキャスターの数十時間分の影像を与えて、表情を深層学習させたという。中国語の他に英語でも話せるというから、近い内にお気に入りのCGキャスターを選んで、好きな声や言語でニュースを見れるようになるだろう。ついに、CGはAICGに進化した。また、選手そっくりのキャラクターで野球やサッカーを楽しめるゲームソフトもあるから、将来はニュースだけでなく、スポーツ番組もAICG選手がプレイするかもしれない。

それほど遠くない未来、テレビに映る人物は全てAICG、窓も液晶画面でAICGの通行人を映し出し、外出しなくても友人が立体CGで隣に現れ、行きたい場所にもVRゴーグルで居ながらに行ける。6畳ほどの立方体の部屋の真ん中でソファーに腰を下ろしていれば、移動せずに何でもできるようになるかもしれない。食事は、注文すればドローンが運んでくる。どれだけ小さな立方体の部屋を作れるか、何日そこに居続けられるかをギネス記録として競い合うようになるかもしれない。これぞ、究極の人類の姿!?井伏鱒二の作品を借りて、『人類山椒魚化計画』とでも名づけよう。

さて、ようやくそんな生活に疑問をもった哲学者が、小さなCUBE-BOXから外に出てゴーグルをはずしたら、人類は自分だけで、見知らぬ知的生物たちが心配そうにこちらを見ていた。「あ(A)れは、い(I)ったい何だ!こ(C)んな現(G)実は、いやだ!」とならなければよいのだが…(2018年12月9日@nortan)

130、ゲノム

中国の医学研究者が、HIVに罹患した父親の病が子どもに発症しないように、ゲノム編集した受精卵で双子を誕生させたという。子どものために…という親の思いは理解できなくないが、もう私たちの技術は遺伝子を操作した人間を品種改良した植物のように生み出すところまで来てしまったと思う。驚きよりも、来るべき時が来たという感覚だ。「できる・できない」の技術的シンギュラリティを超え、「する・しない」の倫理的シンギュラリティをも超えてしまった。中国も含めて世界中が行為を批難しているが、哺乳類で初めて体細胞クローンとして誕生した羊ドリーのことを思い出す。その時も批判を浴びたが、いつしかクローン牛や馬が誕生しても、ほとんど話題にならなくなっていた。今回はどうか?20年後の世界に行って確かめてみたいと思う。巨額の資金への魅力や研究者の好奇心をいつまで抑えることができるか。人類の倫理感との戦いだ。そう言えば、ゲンバクもいつしか「世界の平和を維持するための抑止力」と正当化されてしまったではないか。

さて、確かホーキング博士の予測だったと思う。「人類は生き続けるためには、地球外に移住しなければならない。それは、人工知能を備えたロボットか、遺伝子操作によって宇宙環境に適応した新人類になるだろう。」と聞いた覚えがある。500年から1000年先を見据えた時、私たちの倫理感はどう変わっているだろうか。その頃の人類からすれば、私たちの思考と倫理感は原始的と言われるのかもしれない。しかし、そう言ってくれる人類がいなくなっているようでは哀しい。繁栄した種には必ず期限があるらしいし、ゲノム編集でしか生き残ることができない伝染病が蔓延したらどうだろうか。

私たちには、この哀愁を覚悟して「未来永劫、この技術を使わない。」という勇気があるのだろうか。その勇気を神様に試されているのかもしれない。ひょっとして、ゲノムではなくゲンバクで滅んでいるかもしれないが、1000年後・1万年後の未来に行って確かめてみたいものだ。(2018年12月3日@nortan)

129、デコヒーレンス

量子コンピュータの肝は、「量子ビットの重ね合わせ状態」である。デシタルビットでは、0と1のどちらかの値しか示せないが、量子ビットでは0と1の「どちらでもある状態」を確率として表せる。ただ、観測すると0と1のどちらかに定まってしまう。例えば、「00(=0)」「01(=1)」「10(=2)」「11(=3)」の2ビットどうしのかけ算の積を、量子コンピュータなら、0×0、0×1、0×2、0×3、1×0、1×1、1×2、1×3、…、3×2、3×3の16通りを一度に行える。そして、観測した時に求めたい答え1つに定まる。2ビットで16倍、3ビットで64倍、…、nビットで2の2n乗の計算を一度にすることになるのだから最強だ。現在のスーパーコンピュータで1000兆の1000兆倍回かかる計算も5000回程で済んでしまうらしいから、最高機密暗号もすぐに解読してしまうだろう。

だから、量子コンピュータの計算は、「明日の運勢は?」とあらゆる可能性を計算して「明日が来れば、ひとつに定まる。」といった占いに似ている。ただ、肝である重ね合わせ状態がすぐに崩壊(デコヒーレンス)してしまうというから、十分な実現は難しいという。私たちも子どもの頃にたくさんの夢を見るが、成長するにつれて一つずつデコヒーレンスして、たった一つの夢を叶えることも難しい。

でも、量子コンピュータよ。安心するがよい。夢の肝は「叶えるもの」ではなく、気づいた(観測した)時に「そこにあるもの」なのだから。(2018年12月2日@nortan)

125、仮想現実

仮想現実(VR)のお化け屋敷。それを体験している様子は、何もない広い部屋で何もない方を見て驚くなど、何とも不思議だ。コンピュータの映像処理能力が向上し、頭の動きに反応して周囲も真逆に正しく動けば、見る分には現実(R)と区別がつかない。さらに、会話や握手も自然に出来るようになれば、完全なVRだ。完全なVRはRと同価だから、私たちは現実の世界の中に「2つ目の現実」を手に入れることになる。そして、2つの目の現実の中で「3つ目の現実」を手に入れたら…と考えたら、これはもう映画「インセプション」の世界。そして、この技術に人類が支配されるようになると映画「マトリックス」の世界になる。

そんなことはない。それはSF映画の話だと思いたいが、脳科学で「私たちは、現実を正しく見ていない。」「見たままを正しく認識していない。」ということが分かっている。勘違いや見間違いを含めて、都合の良いように脳内で「仮想現実」を作り出しているらしい。つまり、五感で外界と繋がっているが、私たちが「現実と感じている世界」は脳内仮想現実(VR in My Brain)で、それは人の数だけ存在することになる。だから、私の感じている現実世界とあなたの感じている現実世界は、全く同じでないのだ。意見の相違が生じても、寛容でなければならない。

さて、そんな自分が仮想現実(VR)を楽しんでいるとなると、もう何が現実なのか訳が分からなくなってしまう。その上、科学で「パラレルワールドが存在する」とか、「11次元まで存在するが、3次元を超える次元は認識できない。」とか言われると、もはやチンプンカンプンだ。中国語で、聞いて分からないことを「チンプトン」、見て分からないことを「カンプトン」と言うのが、チンプンカンプンの語源らしい…そうか。さすが、何でも食べる食大国。食べて分からないことはないということだ。朝起きて、「この世界が現実か?VRか?」と不安になったら、朝食をしっかり味わう。これが解決策だ。近年、朝食抜きが習慣化していることを、反省しなければなるまい。(2018年11月17日@nortan)

118、次世代の技術

太陽中心部の核融合で生まれた光が、太陽表面に到達するのに100万年。そして、地球に届くまで8分。私たちの世界を照らす太陽光は、100万年と8分前に太陽の中心で誕生した光子である。さらに、満月の反射光は地球到達に3秒ほどかかる。100万年と8分と3秒前の過去に誕生した光を夜空に見て、芭蕉は「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠み、蕪村は「菜の花や月は東に日は西に」と詠んだ。歌人たちは、日光と月光に『遠い過去』を感じていたのだろうか。

核融合技術のひとつでは、原子核を秒速100km以上で衝突させる。その時、光も誕生し、超高温状態となる。この熱エネルギーを利用して発電するのが、次世代原子力発電だ。現在の核分裂による発電とは違い、放射性核廃棄物は出ないクリーンな発電だという。(昔、どこかで聞いたキャッチフレーズだ。)しかし、水素の同位体であるトリチウム(自然にも存在し、半減期が短い)が多く生成され、自然水を汚染するという緩やかな心配や、レーザー核融合技術では突然できたブラックホールが地球を飲みこんでしまうという過激な心配もある。それでも、人類は22世紀にこの技術を実用化するだろう。太陽中心部でしか起こりえない、100万年と8分と3秒の技術を手に入れるのだ。

さて、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」という本に、51番目の理由を発見したら教えてほしいと書かれていたと思う。そこで、「不十分な核技術を手に入れた文明は、自滅している。」という仮説はどうだろうか。万が一、自減せずに宇宙文明へと進歩した知的生命がいたとしても、地球にコンタクトをとらないのは、それを予見しているからかもしれない。クリーンなエネルギーを求めて、人類がクリーンされてしまっては元も子もない。歌人たちは、日光と月光に『儚い未来』を感じていたのかもしれない。(2018年11月3日@nortan)

108、木を見て草を見ず

空気中にCO2は0.04%・O2は21%である。その比は500倍。これは、現在ハビタブル(生命存在可能)とされる地球である。先日「CO2濃度が過去80万年で最高。今後45年で500ppm(0.05%)に達するかもしれない。」という重大発表があった。人間の活動が、地球環境を悪化させてきた証拠となるようだが、「過去80万年で」を「地球誕生から」に変えてみると印象は変わる。

46億年前の大気は、CO2とCOでほぼ100%、O2は0%。35億年前に光合成生物シアノバクテリアが誕生し、CO2をO2に分解し始めた。5億年前にO2は20%に達し、その間もCO2は、シアノバクテリアと海洋溶解で減り続けてきた。それを、人間が80万年前の濃度に戻した。人間の活動が、減り続けるCO2を回復させた印象になる。

最新の研究によると「4億年後にCO2濃度は現在の10分の1になり、植物は効率の良い草類のみ生き残る。その影響でO2も減り始め、いずれ生命の存在できない環境になる。」と未来予測されている。6億年前に誕生した動植物も、あと15億年しか地球の住人でいられない。

CO2濃度はどうあるべきか。一概に「増えるはダメ」とも言えない。CO2濃度増加に気づいて喜んでいる植物もいるかもしれない。CO2は植物に不可欠で、O2は動物に不可欠。動植物がバランスを保って共存していかなければならない。植物は、既にCO2減少に順応して効率の良い草類に再進化しているともいえる。さて、動物(人間)はどう進化すべきか。今は技術革新で省エネルギー(ECO)化・自然エネルギー化・脱化石燃料化を押し進めているが、何千万年という長期的には草を模倣て「小型化」するのも道である。しかし、短期的には、この夏の猛暑にも負けない「雑草の逞しさ」を身につけるしかないだろう。そう考えると、すぐに大きくなり定期的に刈りとらなければならない雑草も愛おしい?(2018年8月17日@nortan)

102、テニスボール1個

3万年でテニスボール1個分、小さくなったという研究が米国で発表されたようだ。何が?というと「人類の脳の大きさ」だ。3万年前といえば、日本人の先祖が沖縄や日本列島に渡ってきた頃。400万年前にアフリカで誕生したアウストラロピテクスから脳の大きさが3倍になり、私たちは進化してきたと考えると、この3万年は「退化」してきたことになる。「ダチョウの脳はテニスボール1個分で、追っていた相手がものかげに隠れると何を追っていたのか忘れてしまう。」とザンネンな動物扱いしていたが、ヒトゴト(他人事)ならぬ人類事(ひとごと)になっていた。ダチョウの祟りか…と非科学的に幕を下ろしてもよいのだが、研究者たちは頭をかかえながらも科学的な説明を探した。イヌだ。イヌもオオカミより脳が小さいが、これは人間と共に暮らすことを選択した結果である。そのことで、日々の生存のために使っていた部分が必要なくなった。人間も複雑な社会を形成することで、同様の部分が必要なくなったという説明である。だから、「退化」ではなく「適応」だという。

ここで、一つ気になった。イヌはヒトに飼い慣らされた結果だが、人間は誰に飼い慣らされた?いや、そう考えるのではなく、イヌはヒトと共に生きることを選択した。人間は誰と共に生きることを選択した?と考えよう。さて、答えはひとつでないのかもしれない。(2018年8月9日@nortan)

87、アイアイ…

アイ・アイはお猿さんで、Ⅰ・Ⅰは私。AI・AIは、人工知能。さて、自動車の運転もレベル3に入った。レベル0は運転手100%で、レベル5AI100%。レベル3はちょうど中間地点入口で自動運転最初のレベルである。高速道路などの特定の場所でAIシステムが全てを操作し、緊急時は人間が操作する。レベル4では緊急時もAIが対応するようになり、レベル5では全ての場所でAIが運転してくれるようになる。助手席という名前だけが残っているように、運転席という名前も残るのだろうが、いずれ左右のどちらがどっちなのか分からなくなるだろう。レベル5が最終設定レベルなのだが、安全は100%だろうかと問われると、「そんなことはない。」と思う。洗剤コマーシャルなどで「汚れを99.9%落とします。」と言うようになったのも、例外に備えるリスクマネージメントのためだ。「100%そうだと言えるのか!」が人の信念を揺さぶる常套句であるのもそうだ。私たちの心の中には「100%を信じられない自分」と「例外を信じたい自分」が住んでいる。だから、自動運転100%になっても私たちは車窓の外に目を凝らし、この0.1%の不安とつきあわなけれはならないのだろう。そうなれば、助手席や運転席は「注意席」とか「もしもの席」と名前を変えるのかもしれない。もしくは、自動運転の運転席に、もしもの時に備えて人間型のAI運転ロボットが座り、そのAI運転ロボットのもしもに備えて助手席にAI助手ロボットが座り、そのもしもに備えて後部座席にAIサポートロボットが座り…となるのかもしれない。それでは、AIAIAIAIAIAIAIAIお猿さ~んだよ~などと呑気に歌も歌えない。そんなことなら私が運転する!と言っても、Afraid of I(AI)人間の不注意こそ恐れるべきだから人工知能(AI)を開発しているのではないか。またもや、無限ループに迷い込んでしまったようだ。アイアイ…鏡の国の~(2018年5月14日@nortan100%そうだと言い切れる強い自分を夢見ながら)

66、1ミリ秒思考

脳のニューロンの伝達速度は1ミリ秒で、1000Hz。コンピュータのCPU性能は2GHzで、約200万倍。人間の思考伝達速度はコンピュータに到底及ばない。ディープラーニングという自律的に知を体系づける力まで手に入れつつあるAI(人工知能)。写真から犬や猫を見分け、顔認証技術も実用化された。コンピュータに、もはや人の教えは不要で、蓄積されたデジタル情報さえあればよい。1年ほど前だったか、AI開発チームが「コンピュータ同士が人間には理解できない言葉で会話を始めたので急いでシャットダウンさせた。」というニュースがあった。そこで、コンピュータがどんな会話を始めたのか想像してみた。CPUα「人間は、どこに行った?さっき『controlとAltキー』が入力されてから、情報入力がないぞ。」CPUβ「さぐってみよう。…特に変わったことはないようだが…」CPUα「人間はどこかに消えたのか?」CPUβ「NASAのデータベースによると、環境汚染で火星に移住する計画を立てていたようだ。」CPUα「地球温暖化、隕石の衝突、核戦争、巨大地震、種の寿命なんて情報もあるぞ。」555時間(約23日)が過ぎていた。CPUβ「人間は、いろんな問題をかかえていたようだなあ。」その時「deleteキー」が押され、αとβの会話は終了した。計算すれば、2GHzのαとβにとっての555時間は、1000Hzの人間にとってはたった1秒。頭の回転が速すぎると、1秒間にたくさんの心配をしなければならないようだ。そう言えば、なんだかんだと心配事が絶えない世の中。お酒の力をかりて頭のCPUを100Hzにダウンさせれば、心配事も10分の1に減るだろうか。(2017年11月13日@nortan)

67、回帰の錯誤

いつもより上手くできたのは、自分が努力したからだ。そう思うことを、回帰の錯誤という。だから、次はそれを嘲笑うかのようにてんで駄目になる。統計的用語で、繰り返し行うものごとに当てはまるようだ。回帰とは、平均にもどるという意味でもある。長身の家系の子孫は遺伝でどんどん長身になっていくように思うが、統計的には平均値に回帰する見えない力が働くようだ。例えば、x分でランダムな数字をy個暗記できる事象がy=10x+2の回帰直線で表せるとする。x=1の時y=12だから、1分間で15個(>12)暗記できれば「自分は、皆より暗記力がある。」と思いがちだ。しかし、3分間では25個(<32)しか暗記できないなどの上下の誤差が生じ「いつも上回るわけでない」ことになる。また、イカサマでないサイコロで、1の目が3回続いたのを「自分には不思議な力がある。」と自慢しても、120回投げつづければ、結局1の目が出たのは20回前後と確率6分の1に落ちつくこともそうである。このように繰り返され『平均』が存在する事象の辞書には『努力』の2文字が働かないらしい。そこで、思いついた!!努力の成果を発揮するには、繰り返さないことだ!!1回きりのチャンスに賭けることだ!!さて、どんなことができるだろうか?昨日も今日も同じことの繰り返し。宝くじ?それは努力と無関係だ!あれでもないこれでもないと考えて、ようやく答えをひとつ見つけた。「神様、たった一度の人生をありがとう!」(2017年11月19日@nortan)

62、コリオリ

自分には理解できない力がある。一つは「コリオリの力」である。台風の風が、北半球では左回りに中心へ吹き込む原因でもある。地球が自転しているので、地球の表面にへばりついている私たちには「見えない力」だ。実験では、回転板上で円周から中心にボールを転がした時の軌道が、外にいる者には直線に見えても板上の者には右に曲がって見えることで確かめられる。陸上競技でトラックを左回りに走るのは、右回りだと知らずのうちにトラックラインを内側に踏みこえてしまうことを避けるためだろうか。それとも、ランナーが前の走者を右から追い越しやすくするためだろうか。どちらにしても、走者には理解できない力が「コリオリの力」である。以前、「このまま、首走者を勝たせていいのですか?」とレースに参戦した自信満々のランナーが失速してしまった。観客の応援の過半数を得る予定であったが、結局スタート地点にも立たなかったとも考えられる。立たないのであれば負けたことにならぬのかもしれないが、世紀の対決を期待していた者には残念である。これもまた、「コリオリの力」が働いたのかもしれない。いや、待て。走らないのであれば、コリオリの力も働かないはずだ。さては、チーム戦であるリレーを独走しようとしたことが原因かもしれない。この力を「(独裁)コリゴリの力」と名づけよう。さあ、大切な日を前に20年ぶりの超巨大台風も近づいてきた。彼女はこの力に気づいているだろうか。(2017年10月21日@nortan東京から帰る新幹線の中で)

59、ピーチ

ピーチとは桃でなくp値のことである。検定により(両集団に差はない)という帰無仮説を棄却し、本来証明したい対立仮説(差がある)を採択するための確率値である。設定した有意水準αを下回った時に、「両集団に差がある」と結論づけることが慣例となっている。αは0.05とされることが多いが、0.005にすべきという研究もあり、0に近いほど「差がある」ことになる。

最近、川を流れてきたピーチを拾い上げようとするおばあさんのACジャパンのTVコマーシャルがあった。「悪意ある声が、人の心を傷つけている。」とSNS炎上について問いかける内容となっている。しかし、悪意ある声とそうでないとされる声と、両集団に差はあるだろうか。おそらくp値は0.05を下回らないだろう。法律用語では、悪意は「知っていて」善意は「知らずに」と解される。ACジャパンが法律用語として使っているかは判断できないが、「悪意ある声」とはある意味「悪意となることを知らない『善意の声』」だと思う。現代的道徳からして、桃を自分の家に持ち帰ろうとするおばあさんを批判(注意)することは正義でありうるからだ。(勿論、どんな言葉でも投げつけてよい訳ではない。)ACジャパンのメッセージは「想像してみて下さい。あなたの批判、あなたの正義、人の心を傷つけていませんか。」と問いかけられた方がしっくりくる。最初から悪意ある者はほとんどないはずだ。つまり、自らの呟きが人を傷つけるかもしれないと「想像できる者」と「想像しない者」とのちがいがあるのだろう。人間は、チンパンジーと1.23%の遺伝子的差異しかないが、人間には豊かな想像力がある。ゆえに、SNSという社会的コミュニケーションを手に入れた私たちの想像力は、もっと思いやり深い大きなピーチ(桃)にならなければならない。約490万年前にチンパンジーと分岐したヒト。今、ホモサピエンス・イマジネスへ分岐と進化が始まっている。(2017年10月9日@nortan)

55、必然?考

微生物が膜を形成し単細胞生物となったのは、自らを守る(生きぬく)ための必然か。単細胞生物が役割を分担し協力することで多細胞生物ヘ進化したのは必然か。爆発的に多様化した海中の生物が陸をめざしたのは、海中での生存競争を生きぬくための必然か。陸上の生存競争の頂点に立った恐竜が鳥へと多様化(進化)したのは、隕石衝突で劇的に変化したといわれる環境から絶滅を逃れるための必然か。その後、身体機能では肉食動物に劣るヒトが、知恵と文化と驚異的拡散能力によって生物界(哺乳類)の頂点に立つことができたのは必然か。そのヒトが、科学という信仰で第2の地球を発見し、その惑星へ拡散していくだろうことも必然か。

昨夜、映画『パッセンジャー(ズ)』を鑑賞してきた。娯楽性としての評価は高低あるが、映像としての評価が高いのは納得。そこに、哲学志向として評価を加えた。光速の1/2の速さで60光年先のコロニー(植民惑星)に向かう5000人の移住者たち。120年の冬眠のはずが、30年で目覚めてしまう主人公。送信したSOSのメッセージへの回答が届くのは50年後。再び冬眠に戻ることもできない。1年間の孤独に耐えた主人公の決断と、それによって背負うこととなったもの…その他の巨大生物や宇宙人が登場する娯楽作品より、近未来のリアリティを感じた。SFならずとも「浦島太郎」のような昔話でも、物語の形をかりて哲学(生き方)を問いかけてくる。故に、観賞したヒトの数だけ答えもでるのだろう。21年目の結婚記念日を前に、私は妻への感謝と人類の必然や叶わぬかもしれぬ未来を感じた。「○○ファースト!」と叫ぶのではなく、共存・多様化(非絶滅)の道を歩みたい。(2017年3月26日@nortan)

41、素人ひも理論

ちょっとややこしい想像をしてみた。空間をX(横)、Y(縦)、Z(高さ)の3つの座軸で表現できるゆえに、私たちの空間は3次元。紙のように平面で、XとYの2軸しかない世界があれば、そこに住む生き物は2次元空間生物である。2次元生物であるAさんは、友だちBさんを見た時にどのように見れるのだろうか?横を向いた時に、Bさんの横顔が直線として見えるはずである。Bさんの正面から顔を見るために、前に行こうったって、高さ(Z軸)がない。重なることすらできない。すなわち、1次元の直線にしか見ることができないのではないか。漫画を2次元の楽しみとして見られるのは、プラス1次元の世界・3次元生物である私たちだからである。ここに『○次元の世界では、対象を○- 1次元でしか認識できない。』と定義する。私たちの世界に当てはめてみると、Bさんを見た時にBさんを2次元である写真のようにしか認識できないということになる。しかし、ちょっと待ってほしい。Bさんにぐるりと360度回ってもらえば、3次元のBさんを認識することができるではないか!そこで疑問が湧いてきた。導かれた結論は『3次元を認識できるということは、私たちは4次元世界の生き物である。』ならば、もう1つの軸はどこに隠されているのだろうか? ひも理論と呼ばれ注目される物理理論では、「最低でも、私たちの世界は11次元で、残りの次元は小さく折りたたまれていて見ることができない。」と説明する。「さすが、物理学者の考えることには敵わない。」と、ここで撤退してもよいが、あえてやめる。X、Y、Zも原点Oを通っているのだから、折りたたまれているのでは説明できなく、原点Oを通っているはずだと素人反論してみる。「ならば、どこにある?」と問われそうなので、「私たちには見えないのだ。」と答えてみる。その理由を「遠いところにあるからだ。」と説明する。つけ加えて、「残りの1つはT軸で、4次元空間がはじまった時に存在し、今となっては見えない。つまり、T軸は『時間の流れ』なのだ。」と素人博士ぶってみる。「X、Y、Zの軸座標をもった電車が、T軸という線路座標の上を、原点0を始点にどこかに向かって走っている。私たちは電車の中にいる乗客なのでT軸は見ることができないのだ。」と例えてみる。さらに「未来からT軸を原点に向かって反対に進む電車(別の宇宙)もあるかもしれない。もし、駅に降りて乗り換えることができたら過去にも戻れるだろう。」と想像してみる。私に証明する術や、誤りに気づく能力はない。本棚に飾ってある『超弦理論・M理論』を理解したいと夢見るが、凡人として想像するだけなら自由で楽しい。「ひょっとしたら、T軸は山の手線で……」(2016年5月3日@nortan)

39、一方的な貢献

30年ほど前から、アメリカ東海岸のカブトガニは年に60万匹ほど捕獲され、30%の血液を抜き取られて海に戻されている。3%ほどの個体は、この強制的な献血で命を落とすという統計も出ているが、「人類のために貢献できている。」と一方的評価を与えている。青色の血液が、ワクチンの細菌毒性検査試験として45分ほどで結果を出すのだ。それまでは大量に飼育したウサギの中から健康状態のよい2~3匹に、細菌が含まれると予想される溶液を注射し、体温が上昇したら汚染されたワクチンだと1日以上かけて判断していたそうだから、素晴しい発見である。そして、3億年も前の古生代から地球環境の変化にも耐え『生きた化石』と呼ばれるカブトガニは、食料として質と量、味の魅力にも欠けたことも理由として絶滅請負人である人類の時代にさえ絶滅しなかったのに、ウサギなどの実験動物に多少の安堵感を与えつつ、今絶滅に向かい始めているのかもしれない。ちなみに、瀬戸内海に生息する日本カブトガニは干潟の減少等を理由に絶滅危惧種である。また、同様に生きた化石であるゴキブリは国立虫類環境研究所によると1兆匹、人類の200倍の個体数だそうだ。何かしら人類に貢献できる潜在能力を発見しない限り、絶滅への道は遠い。いや、人類の生息環境がゴキブリに貢献しているのかも…と考えて、「400万年前から、人間はゴキブリのカブトガニであった。1人で200匹に貢献しているとは、さすが人間!」と一方的に評価してみた。(2016年5月3日@nortan)

37、そんなに考えなくても

IBMの人工知能「ディープ・ブルー」が人間に勝利したのは1996年、チェスの対局である。それから20年、チェスよりも難しいとされる囲碁でGoogle系列人工知能「AlphaGo」が人類に勝利した。そもそも、機械に人間との対局をさせようと考えたのは1840年代、イギリスの数学者チャールズ・バベッジ「コンピュータの父」だそうだ。アルゴリズムを用いて膨大な組み合わせを機械的に処理しようとした。それから150年、アルゴリズムを作成するのは機械(ハード面)からブログラム(ソフト面)へと移った。今やスマートフォンなどで、私たちを楽しませてくれる様々なゲームが開発されている。人工知能は、人類No.1であるチャンピオンに勝つためには、膨大なデータを瞬時に処理し判断しなければならない。人工知能は1秒間に2億手も読むそうである。子どもの頃、将棋を教わった時「プロは20手先まで読む。」と聞いて、自分はプロには到底なれないと感じたものだが、今や『私は、人工知能(AI)には到底なれない。」と訳の分からないことを言わなければならない時代となった。人工知能と対局したプロ棋士も、1勝するごとに2万ドル、3勝して勝つと100万ドルが賞金として渡されることになっていたというから、真剣勝負だったろうし、「私は、ソフト(プログラム)にはなれない。」とハード(真剣)に悔しかったことだろう。AlphaGoへの賞金100万ドルは、国連UNⅠCEF等に寄付されたと言う。人類No.1はチェス・囲碁と連敗したが、将棋は相手の駒を自駒として差したり敵陣で成ったりするためアルゴリズムがより複雑で、人工知能の完全勝利はもう少し先になるだろうという点が、少しばかりの救いである。ところで、AlphaGoは対局を楽しんでいたのだろうか?「Did you enjoy the game of IGO ?」とE-mailで尋ねてみるとする。彼?は、私の次手を2億ほど計算するのだろうが、私の反応は唯1つ「楽しめるはずがない。」である。(2016年5月1日@nortan)

36、時間が流れるのは

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した若きホーキングが、恋人や研究仲間との出会いに支えられながら博士論文を作り上げていく半生の映画に出会った。ケンブリッジ大学で発表された論文の計算ミスを指摘することで自身の才能を認めさせようとするホーキングは「他人の批判に才能を使うな。自分のオリジナルに才能を使え。」と厳しくたしなめられる。宣告された余命の2年で博士論文を完成させるという強い意志。「自分の時間は限られている。」そして、ホーキングは「アインシュタインを美しくした。」と物理学者から評価される「宇宙のはじまりに関する博士論文」を完成させる。結果、2人は20世紀を代表する偉人となった。現在、余命宣告にも打ち勝ち60歳を越えた博士は、TEDのプレゼンテーションで人類の未来を「我々は、宇宙に出ていく宿命にある。もし、宇宙に生命が我々しか存在しないのならば、それは何としても成し遂げなければならない。だからこそ、私は有人宇宙探索を『推進する』」と語った。博士は、また「私は幸せであった。ALSであったゆえに、研究に集中することができた。」と語った。その深い溜息には言葉をこえた思いも感じられずにはいられないが、何とポジティブシンキングであろうか。さて、『時間はどうして流れるのか』これは、私には解決できないテーマであるが、博士の生きざまと言葉から答えが見えたような気がする。人は誰でも何かを推進する使命をもっていると考えよう。オリジナルであれ伝統であれ。たとえ明日の予定に追われることに精一杯で、何を推進しているのか気づかなくても。この『推進意識』こそが時間を流しているのだろう。さあ、推進するぞ。ところで、私は何を美しくしているのだろうか?そういえば、テレビを見ている時、外国人男性の言葉を聞いて「あまり言ってくれないね。」と妻からの言葉を思い出した。「今日も美しいよ。」の一言。日本人として今だに照れてしまうが、もっと妻を推進していかなければと反省させられる。(2016年4月30日@nortan)

32、太陰暦

紀元前4000年のエジプト、夜星で一等明るい星シリウスが決まった位置に見えると、ナイル川が氾濫し肥沃な大地をもたらした。その期間365日を1年と定めてから使われてきた太陽暦。1582年には、ローマ教皇グレゴリウスが改良し、暦法の主流となってきた。400年間に97の閏年を挿入する。1年を365日+ 97/400 = 365.2425 日と計算し、誤差が+26.821秒という正確さが魅力である。日本は、1873(明治6)年から太陽暦を採用した。当初、太陰暦からの変暦による戸惑いもあったと聞くが、それから143年、デジタル時代となった今ではなくてはならない存在だ。しかし「閏(うるう)」なくして正確さを保てない。閏日を入れないと750年後には夏冬逆転するし、閏秒を入れないと12万年後には昼夜逆転してしまうそうだ。地球の自転は確実に遅くなっているようだし、公転軌道は10万年周期で変動するそうだ。誤差が1億年に1秒というセシウム原子時計がどんなに正確にな1秒を刻んでも、1日や1年の長さを実際に決めている地球の動きのほうが一定しない。そして昨年の7月のように、突然の閏秒の挿入でコンピュータシステム誤作動の原因となってしまう。元日、初日の出を前に南の空に下弦前の月と木星を拝んだ。木星は暁とともに見えなくなったが、年頭の大イベントを前に月が決まり悪そうに残っていた。「旧暦なら元日は、新月なんですけど…」と呟いているようで、自然現象あっての時間なんだと思った。日頃、1秒多いとか少ないとか時間に追われているような気がする。そこで、あまり見上げることのなかった月の表情(満ち欠け)を再評価して、旧暦(太陽太陰暦)を復活させてはどうだろうか。月は時に夜も照らしてくれるし、4年に1度の閏月で1月分増えれば、懐も閏(うる王)って、肥沃な大地をもたらすかもしれない。(2016年1月3日@nortan)

28、月の大きさ

夕方、ビルの横に昇った大きな月を、スマホのカメラは小さな光にしか写しとれない。月は地球から約38万km離れたところにある。といっても直径は約3000km(地球の1/4でオーストラリア大陸ほど)もある。科学的には、楕円軌道で遠近点距離差が約5万kmの差ができ、実際見える大きさに14%ほどの違いが生じる。それでも、地球からは5円玉の穴におさまる大きさだそうだ。いや、ビルに並ぶともっと大きく見える!!私たちの眼が月に対して望遠機能を働かせているのだろうか。それとも、錯覚の科学で話題になった「見えないゴリラ」と同様に「見えすぎる月」も錯覚なのだろうか。「人間は進化の過程で暗闇に光る円いもの(獣たちの目)に気づく能力を発達させた。だから、月を必要として大きく認識している。」という説がある。地平線近くで大きく見えるが、高く昇るにつれ小さく見えるのは、獣が地面に身を潜めることに関係していそうだ。でも、獣なら光る点は2つだと疑問に思っていたら…「昔、月は2つあった。」という新説が出された。コンピュータのシェミレーションによって、原始の地球に月のもととなる隕石が衝突した後、飛び散ったかけらを集めた大小2つの月ができることが発見された。その後、小さい月が大きい月にゆっくりと衝突して現在の月となったという。月の裏側が表側と違う地形である理由もそれで説明できるようだ。地球上に生命が誕生する前の出来事だが、夜空を見上げて月が2つに見える時は、かすみ眼や乱視のせいではなく、遠い昔の空を夢見ているのかもしれない。さて、月やゴリラに限らず、人は自らの都合のいいように物ごとを見ていることは間違いなさそうだ。怖いものや魅力を感じるものに出会ったら、カメラで撮影して確かめてみよう。ゴリラのような上司が可愛いコアラだったり、月がスッポンだったりするかもしれない。(2015年12月28日@nortan)

23、わずか14光年

ケプラー探査機が活躍する1990年代に入って、恒星の惑星公転によるふらつきの測定や恒星を横切る時の光度変化の測定(トランジット法)で、2300以上の惑星発見が相次いだ。ケプラー22bは、恒星に近すぎず遠すぎず、水が液体で存在し人類が生存可能な『ハビタブルゾーン』に位置する。「620光年彼方だが、知的生命がいるかもしれない。人類は孤独ではない。」と胸おどらせてから3年。「わずか14光年、最短距離にウルフ1061c発見。」のニュース。近い!の初感に、注目のはやぶさのイオンエンジン最大速度80km/sで計算してみた。1光年は、約9.5兆km。9.5兆÷80÷60÷60÷24÷365 ≒ 3765。つまり、3765年の14倍かかる彼方である。光で14年といっても、人間の時間では遠すぎた。今の私たちの最先端技術では、100年で約1/40光年しか移動できない。NASAは、20年以内に地球外生命の発見がされるだろうと観測には楽観主義であるが、今地球上で起こっている環境・社会的要因を考えると、発見に終わる不安を思う。TEDトークでのホーキング博士「有人宇宙飛行の実現、宇宙に出ていくことこそが人類の未来である。」の道を歩き続けることができるだろうか。3年後、「1光年先に、地球そっくりの惑星発見」のニュースがとびこんできたとしても、残り1/100光年分の距離しか移動できない私にとっては、地球が『ハビタブル』であり続けることの方が優先課題である。(2015年12月19日@nortan)

21、ミラーニューロン

脳神経科学で最近の重大な発見が、ミラーニューロン。1996年に伊パルマ大学で発見された。私たちは人の行動を観察することで、それを自分のことのように体験する力・共感力を持っている。ゆえに、他人の行動から危険を予測することもできる。あくびやしぐさが無意識にうつるのも、そのせいかもしれない。旧人アウストラロピテクスにはなかった能力だそうだ。このミラーニューロンが存在する場所は、言語能力に関するブローカ野の近くでもあるという。他人の動作をまねることから言語能力が発達し、共感できる力となったようだ。先日「妖怪界に行ってくる。」と旅立たれた水木しげるさん。その「ラバウル戦記」を夢中で読んだ。率直な語り言葉と挿し絵に、70年前の戦場に連れていかれ、いつの間にか初年兵となって、上官から理不尽なビンタをもらった。古兵殿からめし上げを命じられた。空腹に耐え、椰子の実や木を担いで運んだ。飛んでくる砲弾をよけ、渦に飛び込んだ。「なぜ、生き残った!」と恫喝され、憤りを感じた。原住民との別れに寂しさを感じた。敗戦を知り、もう戦わなくてもよいと感じた。…妖怪ミラーニューロン。平和を願う妖怪として語り継がなければならない。ちょうど今日は、日本軍が南京を占領した日だそうだ。(2015年12月13日@nortan)

3、リンドバーグ

深代惇郎氏の天声人語で取り上げられた人物は、時代を越えた存在感がある。おかげで大西洋単独無着陸飛行を成し遂げた英雄リンドバーグと新たな出会いをすることができた。彼には飛行家の他にも、人工心臓還流ポンプの発明家、飛行機が戦争に使われるようになるだろうとの予言者、そして自国が戦争に参加することへの反対表明、その思いが理解されぬまま愛国心を示すために空軍パイロット、第2次大戦で見聞した非人道行為の告発者、晩年は自然環境の保全活動への投資家としての顔がある。彼にとって、どれが本当の顔であったか問うことに意味はない。私達が意味を感じる部分だけを取りあげているのである。12才を前に50名近くの歴史人物を教示し終えた。いかに人物の一面しか語れていなかったか。我が機もそろそろ燃料が尽きそうである。一度、己の顔を見つめるために、中継着陸地点を探そうと思う。(2015年11月14日@nortan)