194、大母音推移

1400年から250年以上かけて起こった英語の発音変化である。グーテンベルクの活版印刷技術と重なって、綴りと発音との間に乖離が生じてしまった。原因は、黒死病で庶民の発音が優勢になったからとだか、口を大きく開けて発音しなくなったからだとか言われている。

name ナァーメ→ネェィム、

time ティーメ→タァィム、

home ホォーメ→ホォゥム、

now ヌゥー→ナァゥなど、

古英語は、現代英語とは全く異なる言葉だったようだ。しかし、面白いのは(アー)はエイ、eː(エー)はイー、iː(イー)はアイ、oː(オー)はオウと、推移がA(エイ)E(イー)I(アイ)O(オウ)の読みに一致していることだ。

さて、日本語でも口を大きく開けない「省エネ発声」が流行すれば、この推移は起こるのだろうか。もしもを考えてみた。

「母さん→けいさん、兄さん→ないさん」しっくりこない。「父さん→とうさん」もう起こっている?「姉さん→兄さん」これは、大変だ。

日本中が瞬時に繋がるネット情報社会。姉さんが兄さんになることはないが、言葉は生き物。誰かが勘違いやふざけて言い始めたことが受け入れられて、数年で一般的となる「ネット推移」が起こる可能性は、逆に高くなった。「全然~ない」が、10年程で「全然~」の肯定型も認知されるようになったように…

よし、それなら是非とも推移させたい言葉がある。

ブラック→ホワイト

他人は空気→公共道徳

自国ファースト→世界協調

権力忖度→公平公正 など

しかし、これらは「発声」や「ネット」ではない根本的治療が必要そうだ。

(2020年1月5日@nortan)

166、辞書

EU加盟国、ある首相の振えが止まらない。当然のごとく、健康不安説は否定された。首相としての求心力を維持するには、健康不安という言葉は辞書に載せられない。リーダーとは辛い職務だ。

それでは、震えの理由は何か?難民問題やEU離脱問題などの課題を乗り換えられない現状は、「国境をなくし、経済的にも政治的にも強く結びつくことで、戦争の惨禍を繰り返さない」というEUの理念を揺るがしているにちがいない。先の大戦の反省を深く受け入れることで再興を成し遂げた民主国家のリーダーとしては、この逆行に強い憤りを感じているだろう。震えの理由は「悲しみ」なのかもしれない。先日は、UKにEU脱退強硬派の首相が誕生した。「悲しみ」は「静かな怒り」にも通じる。

さて、このことは対岸の火事であろうか。震えの原因には他に「恐れ」が考えられる。やはり、健康不安を隠しているのか。いや、首相の立場にある以上、恐れの原因は世界レベルであろう。私たちに分からない何かを察知しているように思う。かつて彼女の国は、第一次・第二次と世界中を恐怖へ導いた戦争の中心でもあった。それゆえ、世界秩序の崩壊に敏感な国の首相である。私たちの未来辞書に「第三次…」という単語が書き込まれなければよいのだが。そう考えると、私の手も震えはじめそうだ。(2019年7月25日@nortan 世界中に○○ファーストが蔓延してきたのか?)

165、R1

コンビニに置かれた青と赤のヨーグルトドリンクでも、一人芸のグランプリでも、国道1号線でも、NHKラジオ第1放送でもない。昭和の頃はMTSから選んで丸印をつけていた。30年前にはMTSHとなり、この6月からはMTSHRとなった。将来はMとTが退場してSHR(中学校のショート・ホームルーム)になるだろう。

冗談は横に置き、Rとは新元号のことだ。昔、元号を使用することは中国皇帝への服従の印だった。日本は、外交的には中国元号を使い、内政的には独自の元号を使っていた。最初の国内元号は、大化(西暦645年)。隣国は1910年代に元号制度をやめ、西暦を使用しているから、「令和」は、現続する唯一の元号であり、248代目(2×4=8)である。

最近、外務省から「外交文書は、西暦のみを使い、元号との併記はやめる。」や「氏名のローマ字表記は、姓名の順にする。」といったニュースが積極的に発信された。ますます、世界的に元号は独自の特別制度になりつつある。

かつて元号には、天変地異や疫病が流行した時、改元で「時代(世の中の流れ)をリセット」する機能もあった。最短元号は「暦仁(1238年)」の74日。平均3~5年での改元。最長元号は「昭和」の64年。これは、明治以降に一世一元となったからでもあるが、現代日本人を定義するにあたって重要かつ激変の時代だ。もちろん「平成」も忘れてはならぬ時代である。

また、歴史には公元号ではなく私元号も存在していたという。仏教文化が花開いた時代の「白鳳」や「朱雀」、聖徳太子信仰による「法興」、平清盛時代の「保寿」、南北朝時代の「白鹿」「応治」「至大」、自由民権運動の「自由自治」、日露戦争後の「征露」などがあるらしい。どうやら、公私元号は大切な日本文化でもあるようだ。

さて、ある意味、私たちの名前も超プライベート元号といえるかもしれない。それなら、外務省の提案のように姓名表記にすることは改元だろうか。婚姻で姓が変わることが改元だろうか。旧姓使用は?

いや、新しい夢に向かって歩きはじめた時こそが、プライベート改元(CAIGEN)なのだろう。

CAn I GEt my Nozomi ?

(2019年7月17日@nortan )

155、ゲーム攻略

人工知能は、人間との勝負に飽きたのか、ゲームを次の対戦相手に選んだようだ。画像認識力を使って、マリオを操作する。最初はランダムにジャンプするか前進するか選択し、失敗すると初めからやり直す。試行錯誤を繰り返して各ステージをクリアへと導く。

もし、マリオに自我があるのなら、どう思っているのだろうかと気になった。人工知能がリセットされる度に予知能力を得ていく一方、マリオは失敗するまで「俺って最高!」と根拠のない自信を持っているにちがいない。何度もやり直して一歩ずつ先に進んでいたことには気づきもしないで…

また、このゲームはキャラクターを左に動かせない。私たちが時間を遡れないことに似ている。私たちも気づかずに歴史を何度もやり直しているのか?案外、これが「時間が一方通行である」ことの真相かもしれない。

ところで、キャラクターである私たちに喜怒哀楽はあるけれど、操作している超人工知能に「ゲームを楽しんでいる」感覚はあるのだろうか?ランダムに操作しているだけというのはやめてほしい。せめて、プレーヤーは八百万神の誰かであればと思う。(2019年6月2日@nortan ホーキング博士の警告に逆らいAIを開発すべきか?)

152、きつねの窓

図書館でふと手にした絵本。安房直子さんの作品。子ぎつねと主人公が織りなす物語。子ぎつねが人間に化けたことに気づかれながら進行するストーリーは、手袋を買いに(新美南吉)の世界観もリスペクトしている。帰り道に、主人公は子ぎつねに染めてもらった指の窓で、決して会うことのかなわない思い出人を覗き見る力を手に入れる。しかし、…と幻想的で「いのち」について考えさせられる作品。幼い頃の感覚、人間も動物も分け隔てしない感覚を思い出す。そして、せつない。

さて、きつねの窓に現れるのは、地上に存在しないものたち。そして、こちらをじっと見つめている。どこか障子紙に開いた穴から隣の部屋を覗いているような感覚。隣室の家族もそれに気づいている。私たちが、天上に存在して私たちを見守ってくれていると信じている世界。実は、紙1枚ほどの薄さを隔てて隣り合わせで存在しているにちがいないと思えてくる。

東京を離れる前に千鳥ヶ淵戦没者墓苑で胸に手を合わせた。若くしてフィリピン沖で散ったと聞く伯父に、父の旅立ちを報告した。もし、私にきつねの窓があれば、出征する前の兄の膝にちょこんと座ってあまえる男の子の姿が見えるのだろうか。(2019年3月23日@nortan子どもの頃、父の実家の土壁にあった零戦の落書きを、兄に教わったと聞いたことを何故か今思い出した。)

141、三すくみ

Rock-scissors-paper=じゃんけんは、世界標準になりつつある。日本発祥で、江戸~明治期の熊本地方起源説が有力だ。もとは幾つかの拳遊びがあったようだ。グー(0本)からパー(5本)までの六すくみで、1つ大きい方が勝ちという遊び。知らずに以前やってみたが、どのように勝負を判定するかが難しい。その上、3人以上でやるとさらに複雑になる。勝敗は「1つ大きい方が勝ち」らしい。その後、0と2と5だけ残り、今の三すくみになったようだ。じゃんけんは、明治以降、日本人が海外に広がるにつれて世界に広まっていった。文化的には、柔道などの広がりも世界標準に貢献してきたようだ。

また、オリジナルに比べると若干の地域差も生まれている。九州にはある男チョキ(親指と人差指)が東京では女チョキ(人差指と中指)だけになったり、隣国では紙が硬い二重紙であったため「布」であったり、西洋では、紙の意のままパーは指を閉じたり、テレビの影響で「最初はグー」を出したりなど…。じゃんけんの世界も奥深い。将来は、世界で初めて出会った人といきなりじゃんけんをすれば、出身国など分かるということにもなるだろう。勝った方から、笑顔で「それでは、私から自己紹介。…」とやれば、すぐに意気投合だ。

しかし、六すくみの時「グーはパーに勝ち」だったというから、地域によって判定まで違っては、笑顔で挨拶とはいかない。「石は紙をやぶるから、グーの勝ち!」「切られる前に鋏を包んだから、パーの勝ち!」と屁理屈で勝ちに固執しすぎると、後の挨拶で笑顔になれない。「負けるが勝ち」といきたいものだが、反対に「謝罪を要求する!」なんてやられだすと、和の心で「あなたから、お先に。」とも言えない。逆じゃんけんで後出しを認めても、後出しで「勝ったつもりで、負けてしまう」のも勝ちへの強いこだわりを表している。

さて、グーとチョキがどちらが勝ちか、どちらが謝るかと揉めだした。そもそも、仲良く勝敗を決めるためのじゃんけんが紛争寸前だ。パーから見たら、既に勝敗はついている。これは、石も鋏も一緒に紙で包み込むしかないか…と思案するが、紙も近頃「自分が一番だ」主義だった。これは、もう昔の六すくみじゃんけんに戻して、多数決で決着させようか。もし、3対3になった時「引き分け」と笑顔で握手できるだろうかなどと、いろいろ考えた。どうやら、じゃんけんは広まっても、その心は広まらなかったらしい。まだまだ、世界標準の道は険しい。(2019年1月5日@nortan)

135、脱退

国際捕鯨委員会(IWC)から脱退のニュースが飛び込んできた。我が国にとっては、戦前の「国際連盟脱退やむなし」以来の異例。再び戦争を始めるかのようにも聞こえてしまうが、調査捕鯨で捕っていた南極海の鯨をあきらめて、排他的経済水域内での商業捕鯨再開するための決断らしい。その結果、「鯨の数は十分に回復した。捕鯨は文化であり、適数な捕鯨は認められる。」と世界を説得する機会を失い、「哺乳類で知性ある鯨を守るべきだ。」と考える世界を敵にまわしたことには違いない。ちなみに、牛も知性ある哺乳類ではあるが、これはIWCの管轄外である。

けれども、心配はいらない。TPP(環太平洋連携協定)からの脱退、UNESCO(国連教育科学文化機関)からの脱退、UNCHR(国連人権理事会)からの脱退、UPU(万国郵便連合)からの脱退、COP21(パリ協定)からの離脱、INF(中距離核戦力)全廃条約からの脱退など、ここ数年で我が国を遥かに上回る脱退を宣言している国があるではないか。

今、世界は「自国ファースト」という脱退ブームなのだ。隣国による国際条約反故もその流れに違いない。過去のあらゆる約束を無かったことにし、話し合いの場も軽視しよう。説得するなんて無駄だ。思い通りにならなければ「俺やめる」と我を通せばよい。妥協するなど格好悪い。とんどん軍備を拡大しよう。力を示して意見を通そう。世界の秩序は変わったのだ。国際連合の役割も、すでに終わっているのかもしれない。こんな時代の変化を、私たちがはっきりと認識できるのは、いつも、今が過去になってからだ。100年後、まだ人類が存続していればの話だが…。

さて、今晩はクリスマス。私たちは過去から学ばなければならない。サンタクロースには、大人たちへ「歴史の教科書」を届けてほしいと思う。実在していればの話だが…。(2018年12月24日@nortan)

103、浦上天主堂

NHKの中継に、修学旅行で長崎を訪れたことを思い出した。平和記念公園、そしてグラバー園から大浦天主堂横の雨に濡れた石畳を慎重に下った。その大浦天主堂は、開国後に建てられた日本最古の木造教会で、2016年に一般の教会堂より上位の小バシリカに指定されたという。2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産にも登録された。平和記念公園の東に位置する浦上天主堂は訪れなかったが、調べると、大浦教会で信仰を告白したことで迫害された浦上の信徒が後に建立したもので、73年前に崩壊したことが分かった。第2の原爆ドームとも言える。倒壊を逃れた外壁等をそのまま保存する運動もあったが、市長の判断等によって再建されることになったという。原爆ドームが世界文化遺産に登録されたことを思えば、保存されていれば同様の道を辿れたと思う。違いのひとつは、広島は物産館であったのに対し、長崎は教会であったということだった。戦争の記憶は負の遺産と言われる。それを残す残さないには、さまざまな思いが入り混じる。しかし、遺跡があってもなくても、世界文化遺産に登録されてもされなくても、8月両日は忘れてはならない日である。NHKオンライン調査(2015年)によると、1945(昭和20)年8月6日を答えられたのが30%(全国)、8月9日を答えられたのが26%(全国)である。間違いなく、私たちの記憶は風化してきている。さて100年後、私たちの子孫は何%が答えられるだろうか。いや、年月日を正しく答えられるという『知識』よりも、一番伝えるべきなのは「原子爆弾による悲しみを二度と繰り返してはいけない」という『決意遺産』なのかもしれない。(2018年8月9月@nortan)

102、テニスボール1個

3万年でテニスボール1個分、小さくなったという研究が米国で発表されたようだ。何が?というと「人類の脳の大きさ」だ。3万年前といえば、日本人の先祖が沖縄や日本列島に渡ってきた頃。400万年前にアフリカで誕生したアウストラロピテクスから脳の大きさが3倍になり、私たちは進化してきたと考えると、この3万年は「退化」してきたことになる。「ダチョウの脳はテニスボール1個分で、追っていた相手がものかげに隠れると何を追っていたのか忘れてしまう。」とザンネンな動物扱いしていたが、ヒトゴト(他人事)ならぬ人類事(ひとごと)になっていた。ダチョウの祟りか…と非科学的に幕を下ろしてもよいのだが、研究者たちは頭をかかえながらも科学的な説明を探した。イヌだ。イヌもオオカミより脳が小さいが、これは人間と共に暮らすことを選択した結果である。そのことで、日々の生存のために使っていた部分が必要なくなった。人間も複雑な社会を形成することで、同様の部分が必要なくなったという説明である。だから、「退化」ではなく「適応」だという。

ここで、一つ気になった。イヌはヒトに飼い慣らされた結果だが、人間は誰に飼い慣らされた?いや、そう考えるのではなく、イヌはヒトと共に生きることを選択した。人間は誰と共に生きることを選択した?と考えよう。さて、答えはひとつでないのかもしれない。(2018年8月9日@nortan)

60、新「踏み絵」

時に、大自然の中で神秘性を感じたり、神仏像を通して人智を超えた存在を感じたりすることは、私たちにとって「自然な感性」だと思う。種子島に鉄砲と伝来し、広まったキリスト教。大名までも改宗したことで危機意識を高まらせた徳川政府が信者をあぶり出すために行ったのが「踏み絵」。考案したのは、オランダ人だとか日本人だとかの説があるようだが、神仏像(偶像)を大切にする日本人の心を知り、それを巧みに利用したことを考えると、オランダ人説はちがうのかもしれない。そもそも、キリスト教は偶像崇拝を禁止するのだから、それを理解していれば「踏むことをためらう」必要もなかっただろう。理解していても…と言うこともできるかもしれないが、生命大事の観点からは「生の道」を選択すべきだったろうと、現代社会に生きる私たちには理解できない当時の人々の苦悩を想う。さて、踏み絵を拒否するか・受け入れるかが、重い決断であることはいつの時代でも同じようだ。新「踏み絵」では、生き残るために信念を曲げて踏んだ者も踏ませてもらえすらしなかった者もいたようだ。また、「踏むことをためらった者」が「踏んだ者」より、生き残る可能性が高まったとも言われている。「400年の時を隔てると、言葉の意味も変わるものだ。」と感じるのも、これまた「自然な感性」なのだろうか。(2017年10月19日@nortan)

50、境目

30年前に結ばれたシェンゲン協定は、EUで国境を越える往来を自由にすることとなった。今ではEU近隣国の参加もある。そしてドイツでは、政策もあって人口に占める移民数は13%を越えた。我が国で当てはめると1500万人となる驚くべき数だ。フランスなども然り。EUの理想は、人ロ移動によって世界をひとつにするかもしれないが、我が国はもっと緩やかに・穏やかにと願う。そして、我が国の素晴らしい文化を…と考えて、自身の「境目」へのこだわりに気づく。そこで『境目』について考えた。例えば、土地の境は「県境」これは歩いて乗り越えられる。時間の境は「過去と未来」これは必然的に流れる。人の境は「私とあなた」これは相手を大切に思うことで通い合う。空と大地の境は「地平線」これは眺めれば存在するが、追いかけても逃げてしまう。いろいろな境目があるものだ。今、EU諸国は自由と排除の天秤、結束が試されている。一つ目の原因は、シリア内戦泥沼化による難民の受け入れ問題。二つ目の原因は、UK(イギリス)のEU脱退問題。前者はEUへの加盟をめざすトルコの働きかけが突破口となる可能性があるが、後者は不安要素が大きいようだ。結果次第では、我が国も大きな影響を受けかねない。先日、伊勢志摩サミット後の記者会見では語られなかったが、おそらく最重要議題だったはずだ。日常では、関心事を芸能ニュースにとられ、大切な「歴史の境目」に立っていることに気づかないでいるのかもしれない。さて、もう一つの境目に気づいた。毎朝目覚めることとベッドに入って目を閉じることの「夢と現実」ではなく、現実や理想の実現から目を背けるかどうかの生き方。日々の生活でも、どう「苦境」という境目を克服すべきか悩みはつきない。時には夢の世界に逃げこみたいこともある。「夢の世界とシェンゲン協定を結べばよいだろうか。それとも、チケットを買って入園ゲートをくぐればよいだろうか。」と境目のない老眼鏡をもつ年齢になった自分にぼやいてみる。(2016年6月12日@nortan)

45、バべルの塔

漫画家・横山光輝氏の作品『バビル2世』で「コンピューターに守られた」超能力少年が住む塔ではない。そのモデル「旧約聖書の創世記」に登場する巨大な塔である。ノアの洪水の後、生き残った人々はバビロンの地で天にも届かんばかりの塔を造りはじめた。それを見ていた神さまは、団結させぬために人々の言葉を幾つかに分けることにした。結果、人々は互いを理解することができず、塔を放棄して各地に散らばっていった。この記述は、人類が幾つかの異なる言葉を話すようになった原因を説いている。「おー、神様。何てことを。今、外国語の学習に大変な苦労をするのは、そうだからなのですね。」しかし、人類は言葉の壁を乗り越えようとしている。インターネット・翻訳ソフトなどの情報技術を活用して。それだけでなく、人類の知はデータベースとしてまとめられつつある。何時でも何処からでも瞬時にその情報にアクセスする手段が『脳内バイオチップ』のようなものとして発明されれば、学ぶことからも解放されるるだろう。つまり、ネットワーク上のデータベースに問い合わせることで瞬時に答えを手に入れることができるようになる。人類は『集団意識』をもち、難しい判断は人類No.1棋士を破ったような優れた人工知能か、その道の達人サイトが脳間ネットワークを通じてアドバイスしてくれるようになるだろう。試験で「記憶力の競争」をする必要もなくなる。何と素晴しいことであろうか。人類は再び宇宙(そら)にむかって巨大な塔を築きはじめることだってできる、と。ここまで想像して「コンピューターに守られて…いる?いない?支配されている?」と背中にぞくっとするものを感じた。集団思考生物となった人類は、失敗や間違いが減る一方、自分で考えたり・想像したり・思いやったりする個人思考は退化するかもしれない。「おーー、神様。外国語を学ぶ苦労は、そのままに…子どもの頃、超能力で相手の心まで読みとってしまうバビル2世に憧れたけれど、今は、時間をかけて辞書を引きながら外国語の意味を想像したり、相手の気持ちを『思いやったりする』平凡な人間であることの方が、すごい超能力のように思えてきました。」(2016年5月14日@nortan)

44、ナポレオン考

フランス革命が生み出したのが「自由・平等・博愛とナポレオン」であった。ナポレオンは絶大な人気を背景に『皇帝』にまでのぼりつめた。フランスに勝利をもたらし続けることを約束して。「我輩に不可能はない。」は作り話だそうだが、結局は国民が作り出した英雄像に載せられただけなのかもしれない。昭和の時代、勝って当たり前のプレッシヤーを背負っていたプロスポーツチームの監督やプロ格闘家を連想してしまう。最近ではそのプレッシャーに負けてか、自らの選手生命や過去の栄光を無駄にしてしまったニュースも幾つかあった。人間はどんなに才能があっても『世間(評価)』には弱いものだとつくづく思う。その後のナポレオンは、反乱による退位とエルバ島への左遷、そして脱出、百日天下といわれる復活、ワーテルローの戦いでの決定的な敗戦を経て孤島セントヘレナへ幽閉、と劇的な人生を送る。ヨーロッパから遠く離れた孤島での生活は比較的自由ではあったようだが、5年間何を想い続けて最期を迎えたのだろうか。全てを自らの宿命(評価)と受け入れていたならば、真の英雄であったと言えるが…ちなみに英雄最期の言葉は、最初の妻「ジョゼフィーヌ」だったそうだ。それが真実であるなら、人間にとって最後に残る大切なものは『愛し愛された人』なのだとロマンチックに思う。ナポレオンの評価は、「英雄」から一連のナポレオン戦争で200万近くの死者を出した「悪魔」までと幅広い。現在フランスでは、豚にナポレオンと名付けることを禁止されているというから、その評価の複雑さがうかがえる。一方、今も正式なフランス民法であり、世界各国の民法に影響を与えた『ナポレオン法典』に、そのことは記してあったのだろうかと気になる。さて、どの組織でもトップに立つと自らの決断を推し進めることがある。『評価は、後世(歴史)が決める!』と意気込んでみるが、ペットに自分の名前をつけられた時、喜ぶべきか憂うべきか。それくらいは後世を待たず、自分で決めておきたいものである。思い通りにならないとすぐに「むかつく」「腹が立つ」とショートメッセージで繋がりあう世の中に、トッフ°であるなら評価など気にせずに『我が名を動物につけることを認める』と、せめて就業規則にでも書いておこうか。(2016年5月12日@nortan)

40、ハリエット・タブマン

人権活動家として知っていたのは、米国ではキング牧師やマルコムX、我が国では西光万吉である。ハリエットが米国2020年の新札の肖像画になるというニュースを知った時、正直だれ?の初感であった。女性として黒人として、そして何よりも黒人奴隷解放のために地下鉄道(秘密結社)の車挙として命の危険も顧みずに行動した活動家として評価されての決定。南部黒人奴隷の子として生を受け、地主の死を契機に北部へ脱出し、以後幾度も南部へ潜入して救出活動を続けた。救出には、黒人にしか分からぬメッセージを歌として用いた。その回数や救出人数には諸説あるが、南政府から懸賞金が懸けられるほどであった。1913年に93歳で臨終の際には、助けられた人々や仲間が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット(戦闘馬車)」かって脱出の暗号とされた歌を歌った。ここまで調べて、我が国の2000円札は、どうなった?…1年前、銀行の両替で2000円札を注文することができたので、「ある所にはあるんだ」と分かった。沖縄を象徴画とし、平和と人権の大切さを未来へと伝える心、それと共にミレニアム(西暦2000年)を記念して政府提案として発行された法定紙幣。米国民全てがハリエットの名を知っていたとは思わないし、熱しやすくも冷めやすかったり、光がある反面に深い闇もあるのが、かの国だと思う。しかし、ハリエットの肖像画採用は草の根運動の成果だったそうだ。その点で、米国の20$紙幣は流通し続けるだろうが、我が国の新2000円札には課題があったのかもしれない。あらためて財布の中を確かめた。やはり2000円札はなかったが、その思いだけは心の中にしまっておきたい。(2016年5月3日@nortan)

32、太陰暦

紀元前4000年のエジプト、夜星で一等明るい星シリウスが決まった位置に見えると、ナイル川が氾濫し肥沃な大地をもたらした。その期間365日を1年と定めてから使われてきた太陽暦。1582年には、ローマ教皇グレゴリウスが改良し、暦法の主流となってきた。400年間に97の閏年を挿入する。1年を365日+ 97/400 = 365.2425 日と計算し、誤差が+26.821秒という正確さが魅力である。日本は、1873(明治6)年から太陽暦を採用した。当初、太陰暦からの変暦による戸惑いもあったと聞くが、それから143年、デジタル時代となった今ではなくてはならない存在だ。しかし「閏(うるう)」なくして正確さを保てない。閏日を入れないと750年後には夏冬逆転するし、閏秒を入れないと12万年後には昼夜逆転してしまうそうだ。地球の自転は確実に遅くなっているようだし、公転軌道は10万年周期で変動するそうだ。誤差が1億年に1秒というセシウム原子時計がどんなに正確にな1秒を刻んでも、1日や1年の長さを実際に決めている地球の動きのほうが一定しない。そして昨年の7月のように、突然の閏秒の挿入でコンピュータシステム誤作動の原因となってしまう。元日、初日の出を前に南の空に下弦前の月と木星を拝んだ。木星は暁とともに見えなくなったが、年頭の大イベントを前に月が決まり悪そうに残っていた。「旧暦なら元日は、新月なんですけど…」と呟いているようで、自然現象あっての時間なんだと思った。日頃、1秒多いとか少ないとか時間に追われているような気がする。そこで、あまり見上げることのなかった月の表情(満ち欠け)を再評価して、旧暦(太陽太陰暦)を復活させてはどうだろうか。月は時に夜も照らしてくれるし、4年に1度の閏月で1月分増えれば、懐も閏(うる王)って、肥沃な大地をもたらすかもしれない。(2016年1月3日@nortan)

31、伊勢志摩

13世紀末、東洋の姿をヨーロッパに伝えることとなったヴェネツィアの商人で冒険家のマルコ・ポーロ。『東方見聞録』は、参加した戦争で捕らえられていた時に口述で記録された小さな冊子だった。その後、出版されるたびに伝聞されたことが面白く盛り込まれ、初版の何倍もの内容に膨れ上がった。150年後の大航海時代、もはや初版とは別物となったであろう新?偽?見聞録を何度も読み、黄金の国ジパングを目指したコロンブス。偶然、アメリカ大陸を発見し、現代へとつながる。東洋から見えば、見聞録はアジアへの植民地時代を聞くことになる。日本史の視点で考えれば、平泉の金色堂の「噂」が種子島への鉄砲の伝来となり織田信長の戦力を高め、秀吉の天下統一ヘ。その後、幕府の鎖国政策が植民地化を防いだが、一方西洋との間に文明力の差が開いた。200年後、第1の東洋の奇跡「明治維新」で国力の向上に成功したが、50年に渡る戦争の時代の結末として、コロンブスが道を開いたアメリカ合衆国と衝突し、敗戦。一面の焼け野原となった国土から、第2の東洋の奇跡「高度経済成長」を経て、今日へとつながる。歴史に「もし…」はないというが、マルコ・ポーロが実在しなかったのなら…と考えてしまう。遅かれ早かれ、日本と西洋との出会いは必然だったはずだ。今年は伊勢志摩で先進国首脳会議サミットが開かれる。会場となる賢島は、私にとっても思い出の地である。マルコの時代とは違い、世界は狭く・近くなった。200年もかけずとも、国と国とが親交を結び協力し合うことができる。伊勢は、平和を願う日本の中心地であるともいえる。かって辺境の地であったジパングが、洞爺湖に続き、再び世界平和発信の地となることを期待する。(2016年1月2日@nortan)

15、タイヤの時代

トルコの神殿「ギョベクリテペ」は、狩猟採集の生活をしていた1万2000年前のものだ。人類史において、農耕文化より集団定住が先かと、その技術力の高さも含めて研究の的になっている。世界四大文明の発祥よりさらに5000年も前の話である。中心には食料貯蔵庫。団結が食生活へのゆとりに、それが彫刻文化や建築技術を生むゆとりに繋がった。彫刻を施した大石盤は、木の棒をテコにして少しずつ丘上まで運んだ。皆で協力しなければ、成し得ない重量だ。「ヒヨコが先か、卵が先か。」ではないが、やはり団結が初めなのかもしれない。エジプト文明の「コロ」や古代メソポタミア文明の「車輪」の発明があれば、幾分楽だったろうと、物を運ぶ技術の進歩を思う。棒→コロ→車輪→?。船や飛行機は陸上ではないから…リニア?浮いている(飛んでいる)。円いものが続くなあ…。さんざん考えた末に、車輪→コイン(ホテルで荷物を運んでもらいTipを渡す)と円いもので収まった?…結局、タイヤの再発明。我々の文明は「車輪」の先に進むゆとりを失っているのかもしれない。「おれ、わたし」と自分勝手な方向に転がっていく約70憶のタイヤ。「これでは、小石さえ運べない。団結が初めだったはずが…」とテペの住民がつぶやきそうだ。(2015年12月6日@nortan)

12、地質年代

地球の年齢は、地質学の発展で約46億年と推定されている。200年ほど前まで定説であった「6000年ではあまりにも短い。」それに気づかせたのは山頂で発見された見殻の化石である。化石は、様々なことを教えてくれる。地層の学習を興味深くするため、地質年代についてKeynoteを作成した。46億年のうち40億年は冥王代・始生代・原生代と続く無生物時代、その後の6億年が古生代(6つの紀)・中生代(3つの紀)・新生代(3つの紀)と続く生物進化の時代とされる。小学(6年間)中学(3年間)高校(3年間)に例えると覚えやすい。人類の時代は第四紀、最後の約300万年間(高校3年)である。作成したKeynoteの最後の問題は「今まで、大量絶滅は何回あった?」答えは、オルドビス紀末(小2)デボン紀末(小4)ペルム紀末(小6)三畳紀末(中1)白亜紀末(中3)の5回。生物は、これらの危機を乗りこえることで進化を遂げてきた。なんだか子どもの成長の危機とも重さなり、絶妙な例えとなった。また、それはほぼ1億年ごとに起こっていて、白亜紀末の恐竜絶滅が約1億年前だという事実は「明日にも…」の危機感を抱かせる。一方、人類の活動で既に始まっているという説にも納得させられる。このまま高校3年に残留するか、オルドビス紀から5億年以上も種を繋ぐオウムガイのように生きた化石となって進学するか、人類にとっては思案のしどころである。200年前の地球6000年説を信じるなら、絶滅は関係のない話ではあるが、山の貝は殻を閉じるかもしれない。(2015年11月29日@nortan)

6、ノジュール

泥岩の地層の中にぽっこりと突き出した石の塊、地層が削れると川に転がり落ちる。少し黄色みがかっていて木目が細かいので見つけやすい。中には高い確率でアンモナイトなどの化石が入っているので通称「化石のタイムカプセル」。収集家にとっては周知の事実だ。そうなるのは化石から染み出た炭酸カルシュウムが周囲より堅い球体を作るのが原因だそうだが、球体になるのはアンモナイトが海底に巣を掘る習性を獲得し、絶滅とともに化石となったからだとの主張もある。一方、オウムガイが今も生きた化石として存在しているのは、巣を作らずに海中を漂っていたからだそうだ。アンモナイトにとっては自然淘汰の進化であったはずだが…。私たちが絶滅して化石となるなら、どんな形のノジュールに包まれるのだろうか。見渡せば、住居や車など四角い箱に囲まれて生活しているのが私たちの文明なのだから、箱型のノジュールに閉じこめられるのだろうか。それとも、アンモナイトとは反対に硬いノジュールを捨てて、未来にも生き残り続ける道へと習性を変えることができるのだろうか。(2015年11月19日@nortan)

3、リンドバーグ

深代惇郎氏の天声人語で取り上げられた人物は、時代を越えた存在感がある。おかげで大西洋単独無着陸飛行を成し遂げた英雄リンドバーグと新たな出会いをすることができた。彼には飛行家の他にも、人工心臓還流ポンプの発明家、飛行機が戦争に使われるようになるだろうとの予言者、そして自国が戦争に参加することへの反対表明、その思いが理解されぬまま愛国心を示すために空軍パイロット、第2次大戦で見聞した非人道行為の告発者、晩年は自然環境の保全活動への投資家としての顔がある。彼にとって、どれが本当の顔であったか問うことに意味はない。私達が意味を感じる部分だけを取りあげているのである。12才を前に50名近くの歴史人物を教示し終えた。いかに人物の一面しか語れていなかったか。我が機もそろそろ燃料が尽きそうである。一度、己の顔を見つめるために、中継着陸地点を探そうと思う。(2015年11月14日@nortan)

2、ビルマの竪琴

竹山道雄氏の物語「ビルマの竪琴」、市川崑監督2度目の映画化を視聴したのは高校時代。その後教壇に立ち、世界の国名を学ぶ時「ビルマはミャンマーになった。」と話した。当時深くは突き詰めなかったが、それから25年間軟禁状態にありながらも民主化の戦いを続けてきたのがスーチー氏である。先日の選挙による国民民主連盟の勝利宣言と現大統領の受け入れ宣言。氏は熱く「現行憲法の下で私は大統領にはなれないが、今後のことは私がすべてを決め、大統領以上の存在になる。」と語ったと聞く。ミャンマーが民主化路線を進むことは間違いないだろうが、少しばかりの違和感を抱く。教室では明治維新から大正にかけての学習を終え、次は単元「太平洋に広がる戦争」ヘと進む。ミャンマーでの出来事を我が国の明治維新と例えるニュース解説も興味深い。この先、ミャンマーはどんな歴史を紡いでいくのか。富国強兵、殖産興業と続くのか。我々は歴史から学ぶべきことが多い。フィクションであっても、平和を願って僧となり英霊とビルマに残ることを決心した水島上等兵の竪琴の音が教えてくれることもある。(2015年11月13日@nortan)