133、AICG

隣国でニュースキャスターという仕事が消滅しそうだ。日本でもNHKが、AIにニュースを読ませる試みをしているが、中国のAIではCGのニュースキャスターが本物と見間違わんばかりにリアルだ。本物のニュースキャスターの数十時間分の影像を与えて、表情を深層学習させたという。中国語の他に英語でも話せるというから、近い内にお気に入りのCGキャスターを選んで、好きな声や言語でニュースを見れるようになるだろう。ついに、CGはAICGに進化した。また、選手そっくりのキャラクターで野球やサッカーを楽しめるゲームソフトもあるから、将来はニュースだけでなく、スポーツ番組もAICG選手がプレイするかもしれない。

それほど遠くない未来、テレビに映る人物は全てAICG、窓も液晶画面でAICGの通行人を映し出し、外出しなくても友人が立体CGで隣に現れ、行きたい場所にもVRゴーグルで居ながらに行ける。6畳ほどの立方体の部屋の真ん中でソファーに腰を下ろしていれば、移動せずに何でもできるようになるかもしれない。食事は、注文すればドローンが運んでくる。どれだけ小さな立方体の部屋を作れるか、何日そこに居続けられるかをギネス記録として競い合うようになるかもしれない。これぞ、究極の人類の姿!?井伏鱒二の作品を借りて、『人類山椒魚化計画』とでも名づけよう。

さて、ようやくそんな生活に疑問をもった哲学者が、小さなCUBE-BOXから外に出てゴーグルをはずしたら、人類は自分だけで、見知らぬ知的生物たちが心配そうにこちらを見ていた。「あ(A)れは、い(I)ったい何だ!こ(C)んな現(G)実は、いやだ!」とならなければよいのだが…(2018年12月9日@nortan)

128、センチネル族

未開の島に神の教えを広めると旅立った冒険家が、帰らぬ人となった。多くの槍をうけた身体を回収・埋葬することも不可能という。文明から取り残され、新石器時代以前の生活を営む唯一の種族という。島の中心部は森林に覆われ、衛星写真でも生活の様子は窺い知れないが、近づいた者を見つけると全裸で砂浜に現れ、長い槍で威嚇してくる。漁の最中に眠り、浜に流されて命を失った漁師もいるようで、インド政府も種族を守るために全く干渉しないとしている。インフルエンザなどのウィルスを持ち込むと、250人程と推測される貴重な島民を絶滅させてしまう恐れがあるからだ。ネット上では人気のサイトも作られ、ドローンに向かって槍で威嚇する写真も公開されているが、センチネル族にしてみたら人気は迷惑だ。

ここまで知って、いろいろ想像してみた。

まず、「本当は私たちより高度な文明をもっている。」森林の中には、全リサイクル可能なエコシステムを備えた住居や学校・病院などの都市システムが発達していて、周囲の未開人類からそれを守ろうと原始人を演じている。名づけて、天空の城ラピュタ説。

次に、「言い伝えを守っているだけ。」石器時代に、インド大陸から競いを避けて島に移り住んだ。その時、この島に出入りする者は容赦なく死罪とせよ、と自分たちの文化と平和を守るために言い伝えた。名づけて、鎖国説。

そして、「本当の人類は自分たちだけで、島が宇宙の全てだと思っている。」海の向こうは大きな滝になっていて、近づいてくる自分たちに似た肌の白い変な布を纏った生物は、地球外からの侵略者だと信じて、必死に戦っている。名づけて、地球防衛説。

本当のところは、「話し合えば、分かりあえる。」とコミュニケーションを図りたいものだが、そのことに命をかける勇気はない。まずは、ペッパー君を送り込んでセンチネル語を学ばせたいものだが、彼らはどう受け取るだろうか。ますます、宇宙人の侵略だと確信するにちがいない。こんなことを想像していたら、私たちこそ「銀河系のセンチネル族」と思えてきた。随分昔に、銀河政府に保護?見放されているのかもしれない。(2018年11月25日@nortan)

124、難しい問題

難しい問題だという時、それが文字通りの意味を表していることは少ない。「明日は休んでリフレッシュしたいけど、それは難しい問題だ。」は、そんなことできる訳ないと、初めから答えが出ている。また、「進むべきか、戻るべきか、それは難しい問題だ。」も、どちらを選んでも期待すべき結論が得られそうにないことが初めから分かっている。そして、「神の存在を如何に証明するか。それは難しい問題だ。」は、証明できないけれど信じていると言っているに等しい。このように考えると、私たちは答えの出ている問題をあえて「難しい。」と言う傾向があるようだ。

現在、国会では4月からの外国人労働者受入れ拡大について議論されている。昨年度は、受け入れた技能実習生という名の労働者の内、約7000人が失踪したという。「外国人差別やいじめ」といった職場環境が原因だと言われるが、低賃金と借金を背負わされて「思っていたほど稼げず、話が違う。」と失踪する者も多いようだ。ヨーロッパの移民問題、アメリカのメキシコ国境問題、これらは政治を揺るがすセンシティブな問題である。ゆえに「移民」という言葉を忌避し、訳の分からぬ答弁が、何かを誤魔化そうとしているように感じさせる。私たちの国が受け入れたいのは、都合のよい出稼ぎ労働者なのか、受け入れるべきは、一緒にこの国の未来を創る仲間なのか、百年後の子孫のことも考えて隠し事なく議論すべきだろう。「難しい問題」である。(2018年11月14日@nortan歴史に残る何かが始まっている)

119、自己主張する街

電車窓から見えるのは、四角いビル、同じ看板、同じショッピングセンター、同じような高架橋、道路と信号機、車に人、何処に住んでいても同じ街並。昼食は、近所にあるのと同じコンビニでいつものサンドイッチと野菜ジュース。違う街に来たと感じられるのは、駅のお土産のゆるキャラくらい。旅への感受性が衰えたのかもしれない。インドでは自由の女神の2倍・240mの世界最大の立像「鉄の男」が完成した。インド部族統一の貢献者サルダール・パテールだという。真似て日本中に巨大戦国武将像が建つのも面白いが、人物像では批判も出るだろう。いっそのこと、全ての駅前に角の立たないゆるキャラ巨大像を建てるのはどうだろう。内部を防災備蓄庫とすれば、いざと言う時にも役立ち、説明責任も果たせる。または、古都と東京は除いて自治体カラーを決め、街全ての建物を塗り替えてしまえば、「今日は、『○○色の町』に行ってきたよ。」と会話も弾み、インスタ映えで観光客も増えるだろう。何処も彼処も、自己主張のない画一化された「高度経済成長もどきの街並み」では、外国人が「日本人は、みんな同じ顔に見える。」と言うのと変わらない。バブル時代の「ふるさと創生一億円事業」の二の舞にならぬように、より効果的に地域が一丸とならなければならない。

勝手な主張ばかりしてしまった。つまり、「また、いつか、ここを、訪れたい。」と思える機会が減ってきているのは、何処に行っても日常と同じ生活ができるほど、日本が狭く・豊か・便利になったからに違いないが、ひょっとしたら「日本ばかりにいないで、世界を見なさい。」という御告げなのかもしれない。

(2018年10月28日@nortan筑紫平野の西の稜線に沈む夕焼けは美しいかった。やはり、日本は自然で勝負だ。)

108、木を見て草を見ず

空気中にCO2は0.04%・O2は21%である。その比は500倍。これは、現在ハビタブル(生命存在可能)とされる地球である。先日「CO2濃度が過去80万年で最高。今後45年で500ppm(0.05%)に達するかもしれない。」という重大発表があった。人間の活動が、地球環境を悪化させてきた証拠となるようだが、「過去80万年で」を「地球誕生から」に変えてみると印象は変わる。

46億年前の大気は、CO2とCOでほぼ100%、O2は0%。35億年前に光合成生物シアノバクテリアが誕生し、CO2をO2に分解し始めた。5億年前にO2は20%に達し、その間もCO2は、シアノバクテリアと海洋溶解で減り続けてきた。それを、人間が80万年前の濃度に戻した。人間の活動が、減り続けるCO2を回復させた印象になる。

最新の研究によると「4億年後にCO2濃度は現在の10分の1になり、植物は効率の良い草類のみ生き残る。その影響でO2も減り始め、いずれ生命の存在できない環境になる。」と未来予測されている。6億年前に誕生した動植物も、あと15億年しか地球の住人でいられない。

CO2濃度はどうあるべきか。一概に「増えるはダメ」とも言えない。CO2濃度増加に気づいて喜んでいる植物もいるかもしれない。CO2は植物に不可欠で、O2は動物に不可欠。動植物がバランスを保って共存していかなければならない。植物は、既にCO2減少に順応して効率の良い草類に再進化しているともいえる。さて、動物(人間)はどう進化すべきか。今は技術革新で省エネルギー(ECO)化・自然エネルギー化・脱化石燃料化を押し進めているが、何千万年という長期的には草を模倣て「小型化」するのも道である。しかし、短期的には、この夏の猛暑にも負けない「雑草の逞しさ」を身につけるしかないだろう。そう考えると、すぐに大きくなり定期的に刈りとらなければならない雑草も愛おしい?(2018年8月17日@nortan)

103、浦上天主堂

NHKの中継に、修学旅行で長崎を訪れたことを思い出した。平和記念公園、そしてグラバー園から大浦天主堂横の雨に濡れた石畳を慎重に下った。その大浦天主堂は、開国後に建てられた日本最古の木造教会で、2016年に一般の教会堂より上位の小バシリカに指定されたという。2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産にも登録された。平和記念公園の東に位置する浦上天主堂は訪れなかったが、調べると、大浦教会で信仰を告白したことで迫害された浦上の信徒が後に建立したもので、73年前に崩壊したことが分かった。第2の原爆ドームとも言える。倒壊を逃れた外壁等をそのまま保存する運動もあったが、市長の判断等によって再建されることになったという。原爆ドームが世界文化遺産に登録されたことを思えば、保存されていれば同様の道を辿れたと思う。違いのひとつは、広島は物産館であったのに対し、長崎は教会であったということだった。戦争の記憶は負の遺産と言われる。それを残す残さないには、さまざまな思いが入り混じる。しかし、遺跡があってもなくても、世界文化遺産に登録されてもされなくても、8月両日は忘れてはならない日である。NHKオンライン調査(2015年)によると、1945(昭和20)年8月6日を答えられたのが30%(全国)、8月9日を答えられたのが26%(全国)である。間違いなく、私たちの記憶は風化してきている。さて100年後、私たちの子孫は何%が答えられるだろうか。いや、年月日を正しく答えられるという『知識』よりも、一番伝えるべきなのは「原子爆弾による悲しみを二度と繰り返してはいけない」という『決意遺産』なのかもしれない。(2018年8月9月@nortan)

100、懐の深さ

世界人口が増加する一方で、先進国は人口減少と高齢化、労働力不足が問題となっている。我が国でも人手不足が理由の中小企業倒産が、4年前の約3倍になったという。2025年には介護職だけで100万人の人材不足になるといわれている。そんな危機感の中、介護・看護師などアジア3国(フィリピン・インドネシア・ベトナム)からの受け入れも始まっている。しかし、日本語で厳しい国家試験に合格しなければ帰国する約束だ。そんな厳しい条件をクリアした者の大半も、数年後には帰国してしまうらしい。資格まで手に入れたのだから日本に定住・永住・帰化すればと思う。

また、留学生も増えている。ベトナムからの留学生が6万人と急増し、中国からの10万人に続いて2位となっている。3位も増加傾向にあるネパールからの2万人だ。コンビニでは、見慣れぬひらがなのネームプレートをつけた店員に一生懸命な日本語で「おはしとスプーンは、どうされますか?」と対応されることも増えた。昨年、在留資格を就労可能な「専門的・技術的分野」の資格に変更して日本企業に就職した留学生は26万人中2万人だ。採用時に重視されるのは「コミュニケーション能力」と「日本語力」が共に50%を越えている。「協調性」は25%程度、「異文化対応力」は15%程度である(MUFG2018企業が留学生に求める資質)。どうやら、文化的要因よりも「日本語でコミュニケーションできる」かどうかが大きな壁となっているようだ。

さて、漢字と平仮名・片仮名、外来語やアルファベットまじりの日本語を短い期間に理解することは無理があると誰もが思う。少しばかり、平仮名かローマ字で全てにルビ(読み)をつけるか、全て平仮名かローマ字表記にして、日本語を読み書きしやすく、私たちの方から歩み寄ってはどうだろうか。

「日本(にほん)は社会発展(しゃかいはってん)のため、日本(にほん)で働(はたら)きたいと願(ねが)う移民(いみん)の人々(ひとびと)と多文化共存(たぶんかきょうぞん)の社会(しゃかい)ヘ大(おお)きく舵(かじ)を切(き)った。」

「にほん は しゃかいはってん のため、にほんで はたらきたい と ねがう ひとびとと たぶんかきょうぞん の しゃかい へ おおきく かじ を きった。」

「Nihon wa syakai-hatten no tame, Nihon de hataraki-tai to negau hitobito to tabunka-kyōzon no syakai e ōkiku kaji wo kitta.」

もちろん、「日本は社会をよくするため、日本で働くみなさんと一緒に生きる社会をめざすことにした。」とやさしい日本語を使い分けることも必要だろう。

「グローバリゼーション=英語」とだけ狭く考えるのではなく、我が国の伝統と文化を守りながら、未来に向かってどれだけ自己改革できるかも「懐の深さ」なのかもしれない。(2018年7月25日@nortan)

99、懐の大きさ

フランスは19世紀末には欧州から、1960年代からは旧植民地アルジェリア・モロッコ・チュニジアからも移民を積極的に受け入れた。国内では文化や社会衝突もあり「フランスをフランス人に取り戻す。」と主張する勢力も台頭してきている。そのフランスが20年ぶり2度目のワールドカップ優勝。フランスメディアは「多民族社会であることの勝利だ。」と歓喜した。その後、「選手の多くはフランス人には見えないが、まちがいなくフランス人で、フランスの誇りだ。」と聞いた時「?」を感じた。一方、ドイツは2015年に100万人近い移民の受け入れをめぐってEU全体を揺るがした。そのドイツは、ワールドカップで敗退した。そして、一人のサッカー選手が「勝てばドイツ人、負ければ移民として扱われた。」と代表引退をツイートした。確かにスポーツの国際大会には、国民を文化などの違いを乗り越え熱狂させる力がある。しかし、優勝すれば「誇り」、負ければ「移民」では悲しい。

さて、我が国も社会を維持するため、現在128万人の外国人労働者を受け入れている。これは、増加傾向にある。21世紀は再び移民問題と向き合わなければならないだろう。仏独よりも古い時代、弥生~奈良時代に多くの渡来人を受け入れ、文化と社会を発展させてきた日本社会。我が国には、共に社会を発展させていくという「懐の大きさ」があるはずだ。(2018年7月24日@nortan)

98、水ノ国

国連最新予測によると2055年には世界人口が100億人を越える(1万年前の1万倍、31年前から2倍)。その全人口が米国なみの生活を維持するには、地球5個分の資源が必要だという。運の良いことに、2013年シェールガス革命により地下資源枯渇のタイムリミットは約100年伸びたというが、「水資源」は増えていない。発展途上国では、水道設備などのインフラ整備も課題で、海外企業がチャンスと参入しはじめている。日本では水インフラは公共(設備)事業であるため、設計から設備・運営までトータルで支援できる民間企業が育っておらず、海外「水メジャー」に太刀打ちできていない。しかし、海水淡水化技術ではトップレベルの実力を持っている。福岡の「まみずピア」では、逆浸透方式で5万㎥(25万人分)/日と日本最大の規模を誇っている。サウジアラビアなどで行われている「多段フラッシュ(蒸発と冷却)」技術もあるが膨大な熱エネルギーが必要で効率が悪い。石油資源大国だからこそ選択できる方法だ。また、イスラエルでは、逆浸透膜方式で淡水化した水を利用後の下水を85%近く潅漑用に再利用している(日本は2%程度)。下水再利用は海水淡水化コストの1/3ですむとはいえ、これを飲用にするには火星に移住するほどの決意がいる。

このように、水資源獲得競争と海水淡水化の時代は始まっているのだ。以前、知らぬ間に日本の水源地が外国資本に売られていたことで「これでは、いけない!」と話題になったことがある。水道水を日常的に飲用できる私たちは、水資源の貴重さを忘れていたようだ。『地球上で人間が使える淡水は2.5%で、飲用に使えるのは1%に満たない。』水インフラの輸出では海外「水メジャー」に太刀打ちできていないが、国内でペットボトルの水を大量に生産し輸出することはできる。水は「ただ」ではなく資源なのだ。カジノをつくるのもいいが、世界中に「おいしい水」を届ける「水資源大国、日本」になるのはどうか。(2018年7月23日@nortan「おいしい水」でTOKYO2020おもてなし)

93、成人年齢

成人年齢を2022年度から18歳ヘ引き下げる民法改正法案が可決された。「欧米諸国に合わせて」とか「若者の自立を促す」とか後からついてくる理由もある。そもそも、民法は国内法であるし、自立は年齢到達で達成できるものでもない。例えば、プエルトリコは14歳、ネパールは16歳、シンガポールやアルゼンチンは21歳である。また、明治9年太政官布告第41号で20歳を成人と定める以前は、11~16歳で男子が元服、女子が元服(裳着)を行っていた。農村では18~19歳で成人となることが慣例であったようだ。もし、生物学的な理由があるのなら身体的成熟によって個々に成人するべきだろうし、社会的な理由があるのなら何らかの試験に合格した者から順に成人すべきである。さらに、平均寿命が延びていることを理由にあげれば、成人年齢を引き下げるのではなく「引き上げる」ことの方が論理的に妥当である。江戸時代に平均寿命50歳で15歳なら、今は平均寿命84歳で25歳である。日本の労働人口減少が理由ならば、将来は15歳成人へ引き下げられるかもしれない。結局、時代や国内事情によって決めるのだろう。そうだ。「成人届出制度」はどうだろう。義務教育を終えたら25歳までの間に家族と話し合い、本人の成人となる覚悟を尊重して「成人届」を共同提出する。納税・勤労・教育などの義務や選挙などの権利、職業選択などの自由と選択に伴う責任、自立することの意味など、成人について深く深く考える機会にもなるはずだ。数年前に何処かで「今が楽しければいいしぃ。」「政治なんて興味ないっす。」という新成人を嘆いて「今の年齢は昔の7がけ。28歳でようやく昔の20歳(成人)だ。」と聞いたことを思い出した。そもそも、子どもは「早く大人になりたい」と夢みるものだし、大人は「もっと子ども時代を楽しめばよかった」と後悔するものだ。ならば、「子ども(離成人)届」も必要だ。定年齢まで働いた後、社会的義務を猶予され、余生で第二の子ども時代を楽しめるなら、未成人も成人も離成人も納得だろう。つまり、「同一年齢一斉成人制」より「異年齢成人選択制」の方が自立と責任を促せはしないだろうか。そうすれば、働き方改革など社会の枠組みに関する議論を大切にする成人ももっと増えるだろう。

(2018年7月7日@nortan全国的大雨災害を心配して)

89、フヌヴソンチモ

いつもの通勤道、こんなところに横道があったろうか?デジャヴ(既視感)とは、以前にも来たことがあると感じる感覚だが、この感覚はその反対である。いつもと同じだが、何かがちがう。ネットで調べると、人に対して感じるのは「ミッドライフクライシス(中年期のSOS)」、ものごとに対して感じるのは「隠れた才能を発揮するチャンス」、時間や空間に対して感じるのは「不思議の国のアリス症候群」だとあった。そして、ようやくデジャヴの反対「ジャメヴ(未視感)」に辿りついた。フランス語で「一度も見ていない」意で、記憶喪失の一種と考えられるが健康な人にも起こると説明されていた。残業続きでメンタル面が低下しているかと心配にもなるが、同じ本を買ってしまう(健忘症)などもジャメヴらしい。しかし、それとも違う。例えるなら、よく知っている漢字をじっくり眺めていると「こんな字だったろうか?」という感覚だ。知っているのに、初めて知ったような不思議な感覚。いつも食べていたのに、こんな美味だったかなあという感覚。名づけるなら「偽新感」、フランス語にすれば「Faux nouveau sentiment」。どう発音するかGoogle翻訳に喋らせると、フーヌボソチモ?フヌヴソチモ?フヌヴソンチモ?何度も聴いていたら、どこかで聴いたように感じてきた。これは既聴感(デジャクティ?)何だか混乱してきたが、記憶が確かでないことだけは確かになった。ならば、確かでない毎日の新鮮さを楽もうと思うのが健康的か?(2018年6月7日@nortan)