年寄りとは、自分より年長者ということ。つまり、私も年寄りであり、そうでない。前置きは、ここまでにしておく。
さて、モーニングに入った店で奥から大きな声が聞こえてきた。「わしがよー、…でよー。」どんどん調子は良くなって、言いたい放題のパーソナリティ。話に出てくる近所の人や友人がいたら聞くに耐えない話にも、娘と母が肯定感を与え、息子が頷く。しかし、如何にも楽しそうだ。「いい加減にしてほしい。ここは店の中だ。年寄りの愚痴ほど…」と思って、気づいた。自分は、あの息子ほど親の愚痴を聞いてやっただろうか。
子どもの頃、父は週末ごとに酔い潰れて帰ってきては仕事の愚痴を言い、それを聞かぬ母に「お前は、ちっとも分かってない。世間知らずだ。」と荒れることもあった。それを見て、酒に飲まれることと愚痴は家に持ち込まないと決めていた。
家庭を持ってから「愚痴を言ってもいいよ。信用してくれてないの。」と犬も喰わぬ喧嘩もしたが、問題はそこではなかった。そんな親を見て育ったのか、近年自立した子どもたちも、仕事の愚痴をもらさない。帰りも遅く、休日出勤も多い。ストレスもたまっているだろうと心配する。そして、写真の中の父に「もう少し聞いてやったら良かったなあ。」と語りかけても笑っているばかりだ。
さて、家族の形もいろいろだ。自分で決めたことは貫きたいとも思う。
結局、年寄りの愚痴になってしまった。
(2019年10月15日@nortan)