10、素朴派

職業を別にもちながら、絵画を描いた19世紀~20世紀の画家を「素朴派」と呼ぶそうだ。アンリ・ルソーは、パリの税関職員でありながらの日曜画家だった。「眠るジプシー女」は中学生の頃、県立美術館で出合った記憶がある。有名な作品の多くは、絵に専念するために退職した50才代に描かれたものだ。ゴーギャンやピカソなど一部の画家に評価されたものの、広く評価されるようになったのは晩年だそうだ。先月、先輩が退職を契機に開かれた絵画個展に伺ってきた。当時から絵画制作の世界の話を聞かせてもらっては驚き、大学の講師枠にチャレンジしたことを聞いては、その志の高さに関心したことを思い出した。県立美術館の壁に展示された多くの作品の中で、当時の絵はどれですかと尋ねたら、そこには巨大なキャンバスに描かれた力強い山があった。日常の暗鬱としたものを晴らすために長野の山に一人登って打ち込んだ作品だそうだ。先輩の当時の年齢に追いついた私に「君も登ってこい。」と語りかけてくるが、麓にもおよばない。せめて、己の前に立ちはだかる壁を乗り越える力となるよう、その絵を瞼に残して館を後にした。20年前、目の前の壁に自己流で挑もうとしていた私に「来年は、一緒にやろう。」と温かい声をかけてくれた。その素朴な一言が、壁に負けない力となった。ルソーの「猿のいる熱帯の森」を鑑賞しながら、先輩も素朴派であったと感謝の気持ちが込み上げてくる。(2015年11月22日@nortan)

9、大型書店

分類を見て関心ある棚へと移動する。次に、棚を上から順に左から右へと目を走らせる。気になった本を手に取り、表紙を見つめる。知的好奇心を刺激されれば、目次で章だてを確かめる。そして、10秒ほどページをめくり読む。人間の文化や歴史、世界や宇宙の全ての知りうる限りを集めた活字の中から、知の断片を手に入れる。例えれば「6や2」は知。四則演算によって「8、4、12、3」と関連づけられた体系となる。九九を筆算に発展させたり、文章題で活用したりするのが「知の活用」である。年齢とともに弱くなる「記憶力」を補うのは、ならば「活用力」かと考えながら、誕生日プレゼントにする本を探して書店を巡っていたら、「WHAT IF ?」という本に出合った。もし~だったらと考える「発想力」も大切ではないか。かって、試行錯誤を避けてだれにでも簡単にうまくいく方法を手っ取り早く知りたがる人間をマニュアル型人間と囃された時期もあった。無駄をせずに、探しているものをすぐ見つけたい。その点では、スマートフォンでお目当ての本をサクッと検索しタップで注文、翌日には届くAmazonは最大手へと成長した。そのAmazonが米国に第1号書店をオープンさせた。時には書店で、新しい知との偶然の出合いを楽しむことを再評価したのだろうか。もし近くに2号店ができたら足を運ぶだろうか、ネットで注文するだろうかと考えてみる。こんな調子では、私の発想力も衰えてきているのかもしれない。それを補うために「WHAT IF ?」は自分で読むことにした。(2015年11月21日@nortan)

8、チップ

Tipとは、英語圏では「To Insure Promptness」と書かれた箱を「サービスを早く受けたい客」のために置いたことが始まりとされ、仏語圏と独語圏 では「これで一杯飲んでくれ」と金銭を渡したことが始まりとされている。我々の文化でいえば、優待料や心づけに相当するものだと理解できるが、両者の意味合いは大きく異なる。極端に言えば「私は特別扱いの客だ。」と「あなたの心づかいに感謝します。」になるだろう。東西文化の違いだろうと思っていたが、どうやら西洋ではもっと繊細な問題らしい。ロサンゼルスのレストランでクレジット支払いをした人物が、チップ記入欄に金額ではなく、払わないといった言葉を記入して店を出ていった。チップを払わない理由を語源からのみ考えると「私は特別扱いではなかった。」か「あなたに感謝するようなサービスは受けていない。」となるのだろうが、「アメリカ国民にしか払わない。」と書かれていたというから、背景は移民問題や差別問題ともかかわり複雑である。チップ文化ゆえに、労働対価が低く設定されていることも多いそうだ。日本では料金にサービス料が含まれるからTipを渡す文化は廃れたと言われる。しかし、レストランで支払を済ませる時に「ありがとう。」「ごちそうさま。」と客側からも声をかける文化はまだ廃れていない。サービスするとされるの関係にこだわらず「お互いさま」の文化。西洋文化からすると奇妙なのかもしれないが、もしチップ欄に「ありがとう」と記入していたらどうだったろうか。日本でしか生活したことのない私には推し測れない文化の違いがあるのかもしれないが。(2015年11月20日@nortan)

7、有理数

有理数は、rational number[英語]であり、その意味からは有比数と訳されるべきであったと言われる。そうであれば、対する無理数が何だかとっても困った数のように聞こえてしまう心配もなかったであろう。三平方の定理として知られる古代ギリシャのピタゴラスは「すべての数は、有理数である。」ことを教義とし、それに反することを唱える弟子たち排除していった。正方形の対角線が√2を含む無理数となることを知っていたこと、実数のほどんどは無理数であることとを考えると、なんとも自らをも縛る狭い教義をたててしまったことかと思う。私たちは自らの行動を決める時に、何らかの信念、信念とまでいかなくとも考えを拠り所とする。「それが全てを解決してくれる。」この思いが安心感を与えてくれる。そう考えると、ピタゴラス先生の強情にも心理的な理解は示めせる。当然の如く、後にプラトンが平方数以外の平方根が無理数であることを予想し、アリストテレスもπが無理数であることを予想し、ついには証明もされてしまった。ピタゴラスの安寧はやぶられたが、知の追究としての寛容さが真実の発見につながった。古代数学を現代数学へと発展させた。人生も然り。少し行きづまった時には「無理をする」のではなく「無理も認める」思考や寛容さで新しい道を探してはどうだろう。(2015年11月20日@nortan)

6、ノジュール

泥岩の地層の中にぽっこりと突き出した石の塊、地層が削れると川に転がり落ちる。少し黄色みがかっていて木目が細かいので見つけやすい。中には高い確率でアンモナイトなどの化石が入っているので通称「化石のタイムカプセル」。収集家にとっては周知の事実だ。そうなるのは化石から染み出た炭酸カルシュウムが周囲より堅い球体を作るのが原因だそうだが、球体になるのはアンモナイトが海底に巣を掘る習性を獲得し、絶滅とともに化石となったからだとの主張もある。一方、オウムガイが今も生きた化石として存在しているのは、巣を作らずに海中を漂っていたからだそうだ。アンモナイトにとっては自然淘汰の進化であったはずだが…。私たちが絶滅して化石となるなら、どんな形のノジュールに包まれるのだろうか。見渡せば、住居や車など四角い箱に囲まれて生活しているのが私たちの文明なのだから、箱型のノジュールに閉じこめられるのだろうか。それとも、アンモナイトとは反対に硬いノジュールを捨てて、未来にも生き残り続ける道へと習性を変えることができるのだろうか。(2015年11月19日@nortan)

5、無理数

算数好きを増やしたくて、「算数を学べば、いろんなことが楽になるよ。」と話すことがある。例えば、小数と分数を含むかけ算やわり算は、分数に統一すると計算が楽になる。でも、分数どうしのたし算やひき算は面倒である。それぞれの分母が最小公倍数になるよう通分しなければいけないから、かけ算やわり算の方が人気である。そう考えると、小数を含む10進数表記は便利であり、位をそろえればそのまま足したり引いたりできる。でも、かけ算やわり算となると小数点をいくつ動かすかなど、一気に難しくなる。どうやら何から何まで楽になることはないようだ。私たちの社会には多様な文化が存在し、互いの主張から対立を生んでいる。私たちの文化が分数ならかけ算で、小数ならたし算で簡単に溝を埋められそうだが、今も対立が完全になくならないことを考えると、私たちの文化には分数と小数以外の数も存在しているのだろう。πを教える時、3.14159265358979323846…と何十桁も暗記を競うことは大人気で、150桁まで暗唱できる者もあった。そんなπは教科書になくてはならない存在であり、分数では表せない無理数であり、e(ネイピア数)とならんで超越数である。そもそも、分数と小数は別々に発明された。1/3など完全に小数に直しきれない分数もあった。それでも私たちは、0.2+1/3 = 2/10+1/3 = 6/30+10/30 = 16/30 = 8/15と違いを乗り越えられるようになった。お互いにとって無理数たちとの関係も「ムリ!」と子どものように投げやるのではなく、いつか平和に解決できる文明を築けると信じたい。「πが発明されたからこそ、円く収まるのじゃ。対立を超越せよ。」と古代の数学者たちの声が聞こえてくるようだ。(2015年11月16日@nortan)

4、睡蓮

印象派の流れを創ったフランスの画家の展覧会が始まった。クロード・モネは、光と色彩の変化を追究した「光の画家」である。妻をモデルに「緑衣の女性」と対比して「ラ・ジャポネーズ」を発表したり、自ら手がけた「水の庭」に日本風の太鼓橋を渡したりするなど、日本の風物に魅せられていく。池の周囲には桜や竹、柳や藤も植え、睡蓮も日本から取り寄せたそうだ。睡蓮は、日本では未草(ヒツジグザ)とも呼ばれる。地下茎から水面に葉を伸ばし、夏~秋に白い花を水面に伸ばして咲かせる。ヒツジの刻(午後2時)ごろに花を咲かせるが、夜になると閉じて睡眠する。ゆえに、「水」蓮ではなく「睡」蓮である。3回ほど花を開いた後は、散るではなく、閉じたまま静かに沈んでいく。仏様の台座である蓮(ハス)との違いでもあり、日本の代名詞である桜の散り際とも対比できる。「桜、舞い散る。」「紅葉、舞い散る。」と圧倒的色彩を放つ風物ではなく、静かに白い花を水面に咲かせ、静かに消えていく睡蓮をモネは愛したのだろう。晩年は、それしか描かなかったと言われる睡蓮の連作は200作品にものぼる。モネの商売上手もあって、世界中の美術館や個人収集家のもとに存在する。モネは遺言として、「睡蓮」を展示する時は自分の他の作品と一緒に展示しないこと、作品と人の間に物を置かないことの約束を残した。先日より仏国では、夜も眠れぬほどの騒動である。日本の学生もホテルで外出禁止となり、美術館等の公共施設も閉鎖と聞く。モネの肖像画が「睡蓮連作を世界中から集めて、鑑賞してほしい。」と語りかけてくるようだ。人と人の間の垣根を取り払って。(2015年11月15日@nortan)

3、リンドバーグ

深代惇郎氏の天声人語で取り上げられた人物は、時代を越えた存在感がある。おかげで大西洋単独無着陸飛行を成し遂げた英雄リンドバーグと新たな出会いをすることができた。彼には飛行家の他にも、人工心臓還流ポンプの発明家、飛行機が戦争に使われるようになるだろうとの予言者、そして自国が戦争に参加することへの反対表明、その思いが理解されぬまま愛国心を示すために空軍パイロット、第2次大戦で見聞した非人道行為の告発者、晩年は自然環境の保全活動への投資家としての顔がある。彼にとって、どれが本当の顔であったか問うことに意味はない。私達が意味を感じる部分だけを取りあげているのである。12才を前に50名近くの歴史人物を教示し終えた。いかに人物の一面しか語れていなかったか。我が機もそろそろ燃料が尽きそうである。一度、己の顔を見つめるために、中継着陸地点を探そうと思う。(2015年11月14日@nortan)

2、ビルマの竪琴

竹山道雄氏の物語「ビルマの竪琴」、市川崑監督2度目の映画化を視聴したのは高校時代。その後教壇に立ち、世界の国名を学ぶ時「ビルマはミャンマーになった。」と話した。当時深くは突き詰めなかったが、それから25年間軟禁状態にありながらも民主化の戦いを続けてきたのがスーチー氏である。先日の選挙による国民民主連盟の勝利宣言と現大統領の受け入れ宣言。氏は熱く「現行憲法の下で私は大統領にはなれないが、今後のことは私がすべてを決め、大統領以上の存在になる。」と語ったと聞く。ミャンマーが民主化路線を進むことは間違いないだろうが、少しばかりの違和感を抱く。教室では明治維新から大正にかけての学習を終え、次は単元「太平洋に広がる戦争」ヘと進む。ミャンマーでの出来事を我が国の明治維新と例えるニュース解説も興味深い。この先、ミャンマーはどんな歴史を紡いでいくのか。富国強兵、殖産興業と続くのか。我々は歴史から学ぶべきことが多い。フィクションであっても、平和を願って僧となり英霊とビルマに残ることを決心した水島上等兵の竪琴の音が教えてくれることもある。(2015年11月13日@nortan)

1、五穀成長

穀の字を教え、五穀と熟語を示した。五穀とは「稲、粟(あわ)、麦、稗(ひえ)」ときて、はて、もうひとつは?と調べると「黍(きび)」と出た。そもそも、中国でも日本でも古来から一定せず「稲・麦・粟・大豆・小豆」『古事記』であったり「稲・麦・粟・稗・豆」『日本書紀』であったりするそうだ。Wikiペディアは便利で、キビは黄実から転じた読みで本当に黄い実をつける。また、古来のキビ団子と江戸時代に作られるようになった岡山(吉備)土産のきび団子とは別物であるらしいと、即座に調べることができた。道理で、吉備団子を土産に包装紙の紙で絵本まで作って育てた息子が従順なお供とならず、気持ちが一定しない立派な反抗期が訪れた訳である。それから4年、親の鬼面も必要なくなった。Wikiペディアのように即座ではなかったが、アルバイト先で年下の中学生の横柄な態度にもめげず、老紳士に「君は、いい笑顔をしているね。」と褒められたと語り、働くことの機微を感じ受け止められるようになった息子の成長を喜ぶ。黍のおかげか、吉備のおかげか。16年前に私が岡山駅で選んだのは「機微団子」だったと、反抗期あっての五穀豊穣を洒落てみる。(2015年11月9日@nortan)