よくあるアドバイスに、「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいよ。」がある。ラジオのパーソナリティが、「人生は一回きりだし…。夢に向かって一歩を踏み出せ。応援しているぜ。」なんてロックにセリフを決めて、その後、自分の歌を聴かせる。
しかし、これほど無責任なアドバイスはない。やってする後悔も立派な「後悔」である。つまり、後悔するということは「やらなければよかった!」と痛感することなのだ。やるとやらぬは、どちらか一方しか体験することができないのだから、「AとBのどちらの道を選ぶか?」の二者択一と同値である。ただ「やる」という言葉の響きに積極性を感じているだけなのだ。
例えば、ドラマで、悪役に借金返済を免除してやるかわりに悪事に手を貸せと迫られる。「やるか、やらぬのか!どっちだ!」と恫喝される気弱な主人公。この場合、正解は「やらぬ」で、自分の弱さに立ち向かうこと。YesとNoでは、Yesに肯定を感じるが、正解は「No!と言う勇気」ということなのだ。人生は一回きりなのは事実だから、やらぬ決断も大切にしたい。
人類が繁栄できた要素に臆病さがあるという。樹上から草原に降りる時、勇敢な個体は猛獣の餌となり、「やらぬ」と決断した個体が、その様子を見て武器を手に集団で降り立ち祖先となった。私たちは「やらぬ遺伝子」を受けついでいるのだ。つまり、「やる」は勇敢だが無鉄砲派、「やらぬ」は臆病だが石橋を叩く派である。
さて、私にも「やるかやらぬか」の決断の時が迫る。遺伝子は「やらぬ」を選べという。一方、私の性格(パーソナリティ)は「やる」にロック(オン)している。後は、自分の夢をメロディにのせて歌いきるだけだが、聴かせられる家族にとってハッピーソングになるのも・悲しい歌になるのも50・50。誰かにアドバイス求めた方がよいだろうか。
何だか堂々巡りになってしまった。考えがまとまるまで、昨晩の彦星のように1年待つ辛抱も必要かもしれない。
(2019年7月8日@nortan 来年の七タが晴れるとも限らない)