265、未来日本語

もし、全く海外と交流することがなかったとしたら、私たちはどんな文字を使っていたのだろうか。消去法で考えてみた。

まず、漢字は使っていないだろう。ぜんぶひらがなかカタカナでひょうきすることになる。これではよみにくいので、くとうてんをたようするか、わかちがきにしたほうがよさそうだ。

つぎに、かんじと、どうじに、ゆにゅうされた、かんごの、がいねんと、そのあとに、とりいれた、がいらいごの、がいねんが 、つかわれては、いなかった、だろう。

「明日は、家族旅行で遊園地に行ってジェットコースターに何回もチャレンジしよう」は、

「あすは、みうちの、ひがえりたびで、あそびののりものがあるところに、いって、くるりとまわっておどろくはこに、いくたびも、いどもう」

なんて表現していたにちがいない。

また、漢字から変形した仮名文字も使っていなかっただろうから、表記は数字で、

「0123 91 620332 45 521’10482-315’2 3’4 …」

とポケベルのような表記(暗号文字?)だったかもしれない。しかし、数字も伝わっていないだろうから、

「𓄿𓋴𓅱𓉔𓄿 𓅓𓏭𓀀𓈖𓍯 𓉔𓏭𓎼𓄿𓇋𓂋𓏭 𓏏𓄿𓃀𓏭𓂧𓇋 𓄿𓋴𓍯𓃀𓏭𓈖𓍯𓂽𓈖𓍯𓂋𓏭𓅓𓍯𓈖𓍯 𓎼𓄿 𓄿𓂋𓅱𓏏𓍯𓎡𓍯𓂋𓍯 𓂧𓇋…」

と、ヒエログリフ(表音文字)のような象形文字で綴っていたかもしれない。また、より合理化されて、

「⠁⠹⠥⠰⠀⠷⠉⠗⠎⠰⠀⠧⠐⠡⠋⠓⠕⠐⠧⠐⠟⠰⠀⠁⠺⠐⠧⠎⠎⠓⠾⠎⠐⠡⠁⠙⠞⠪⠚⠇⠰⠀⠃⠂⠟⠰⠀⠩⠙⠓⠞⠵⠄⠂⠟⠊⠐⠞⠚⠩⠥⠪⠇⠰⠀⠃⠩⠕⠐⠧⠾⠰⠀⠃⠐⠞⠾⠉」

と点字のような表記(記号文字?)になっていたかもしれない。

文字は、文化圏の「アイデンティティ」であると同時に「コミュニケーションツール」である。そして、歴史と文化を未来に伝える「タイムカプセル」でもある。

しかし、特定の文化圏内や時代にしか理解できない文字では、シャンポリオンのような天才が現れない限り、歴史と文化が地中に埋もれてしまうだろう。

一方、私たちの文字は、ヒエログリフより「解読しやすい文字」なのだと思う。それは、漢語やポルトガル語・英語などを吸収してきた歴史と懐の深さがあるからだ。

ただ、文字表記としてはガラパゴス文字である。漢字(表意/表語文字)と仮名(表音文字)を同時に使用する「漢字かな交じり表記」で複雑になっている。反面、分かち書きをしなくても「視覚的」には理解しやすい表記でもある。

さて、日本語は、その素晴らしい面を残しながら、論理的にも文学的にも誇れる未来言語になれると信じている。

そのためには、ジェットコースターに乗るくらいのチャレンジは必要なのかもしれない。

(2020年11月27日@nortan)

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