現象学的にものごとの本質を、ほとんどの者が了解できるように解釈することを本質直観(観取)という。
例えば、「北斗の拳 = 兄弟げんか」のような言い換えゲームも大多数が「そうだよね」と了解すれば、立派な現象学的内省であるそうだ。
そこで、思いついたキーワードで2段階変換を試してみた。
「タイムマシーン」 → 乗り越えられない過去と未来への不安のセット商品 → 現実からの逃思考
「外国語学習」 → 母語の素晴らしさを認識するきっかけ → 再自国語学習
「外国の三流アクション映画」 → 迷惑な追いかけっこと拳銃による短絡的解決 → 大人の道徳的優位性の放棄
「GO TO トラベルの迷走」 → いのちの大切さと経済の大切さの両立の難しさ → ?
さて、どう本質直観すれば私たちが了解できるだろうか。大臣や首長に任せれば良いのか? 私たちが声をあげるべきか? と悩むが、「自助努力」では大多数の了解は得られないだろう。
それでは、偉大な哲学者ホッブスやルソーに叱られるかもしれない。
(2020年11月22日@nortan)