流行りのワイヤレスイヤフォンを片耳につけて学習教材を聴いたまま眠りに落ちた。しばらくして、イヤフォンの装着感がなくなると、隣に誰かがいて話しかけられているように感じ始めた。思い出してイヤフォンをはずすと、元の世界に復帰した。
どこかに「私の脳」があって、超高度文明人が創り出した五感センサーを装着して世界を感じているという想像「水漕の中の脳仮説」がある。まさしく、その仮説を体験するような感覚であった。
科学は私たちが検証できる領域を扱い、哲学は検証できない「意識」などの領域を扱う。だから、水漕内脳仮説は人知を越えた哲学なのかもしれない。それでも、科学的検証の可能性が2つある。ひとつは死の体験であるが、「仮説は正しかった」伝える術がない。
もうひとつは、五感を研ぎ澄ませて知覚の変化に気づく方法である。例えるなら、コンピュータのOSがアップグレードされたり、ディバイスが取り替えられたりしたことに気づくことである。
名づけて、アップグレード探知検証。朝目覚めた時に、昨日までと違って記憶力が向上していたり、臭覚が犬のように敏感になっていたり、聴覚が聖徳太子のように多くの声を聞き分けられるようになっていたら「仮説は正しい」とみなす方法である。アップグレードに際して、念のために記憶がリセットされたり書き換えられたりしていたら気づくことはできないだろうが、バグとして無意識に以前の記憶の痕跡が残っているかもしれない。このままでは「世界は5分前に作られた仮説」の罠にもはまってしまいそうだ。
さて、イヤフォンによって妄想のような幻想のような想像?仮説に取り付かれてしまうところであった。
もはや回復のための治療薬は、哲学をやめて信仰の領域に入ることだ。信仰は検証できないが、信じることで救われる。
日本のどこかに、金銭や犠牲を求めない信仰はないものだろうか。
(2020年11月21日@nortan)