261、鬼退治

剣道を習う子どもが増えてきたというニュース。どうやら、アニメの影響で鬼退治がブームらしい。

中世は信仰の時代。私たちは「信じること」「祈ること」で困難を乗り換えようとした。人知を越えた出来事の内、良きことの御業が神であり、悪しき仕業が鬼であるとされた。だから、神も鬼も起源は同じである。

近代になり、信仰から科学が袂を分かち、私たちは「疑うこと」「探求すること」で真理に至ろうとした。次々になされる発見や発明で科学技術は発展し、哲学者は、一方的に神の死を宣言した。そして、鬼だけが残された。

また、鬼には神同様に姿がなかったから、人間は想像力で天狗や河童などの妖怪(百鬼)の姿を与えた。

鬼退治ブームは、そんな鬼を剣で切ることのブームである。しかし、鬼の退治は切るばかりではない。げげげの鬼太郎のように諭して改心させたり、祈祷師のように呪文で鎮めたりする退治も人間的である。「鬼」の字の成立も「魂」から云(うん)がとれたのであるから、云(言霊)を戻してやれば、本来の姿「神」に戻るはずである。

さて、科学知としてウイルスにも神と鬼があることが分かっている。人間との共存と進化を選んだウイルスが前者であり、そんなことお構い無しに増殖して人間を傷つけるウイルスが後者である。

世界中に広がったコロナウイルスは、鬼と言える。科学の力であるワクチンは、退治法としては刀退治である。しかし、常に変化するコロナウイルスに対して、ワクチンの有効性が疑問視されている。残る退治法は「諭し」と「呪文」であるが、ウイルスは聞く耳すら持っていないし、何と唱えればよいかも分からない。

となれば、科学を「疑い」、新たな信仰を「探求」し、新たな信仰の時代を切り拓くしかないのかもしれない。

「鬼滅の刀」ブームの次は、「鬼滅の信仰」に違いない。コロナウイルスが、人類との共存の道へと改心することを祈りたい。

(2020年11月21日@nortan )

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