259、不完全性定理

数学者ヒルベルトは、数学の完全性と無矛盾性を証明しようとした。誰もが成功を信じていたその野望を打ち砕いたのが、同じ数学者ゲーデルであった。

紀元前500年頃、ギリシャで「世界の全ては有理数でできてきる」と信じたピタゴラスが、√2(無理数)にその野望を打ち砕かれて以来の衝撃と言っても良いだろう。ただ、今回のゲーデルの証明は、ピタゴラス学派によって闇に葬られず、すぐに公のものとなることができた。

この世紀の大証明は「クレタ人が『クレタ人はいつも嘘をつく』と言った」などの「自己言及のパラドックス」に例えられることがある。「自分を含む命題」の中には、矛盾する命題もあることが明らかになったのだ。

ところで、先の自己言及が「いつも」ではなく「嘘をつくこともある」だったなら、矛盾は生じないことに気づいた。しかし、時や場合によって真(TRUE)であったり偽(FALSE)であったりすれば、1+1が「時と場合によって」2になったりならなかったりで計算は成り立たず、逆に「数学の不完全性」を根拠づけてしまう。

もちろん日常的には、3時のおやつが増減したり、選挙前の公約5万が諸般の事情で0になったり、「公の責任で」出すべき緊急事態宣言と保障のセットが「自己責任で」にすり替えられたりするのだが…

つまり、人間は不完全であり矛盾を生じさせる存在なのだ。だから、世の中は数学よりも大人の都合で計算されても仕方がないということなのだろう。

ゲーデルの不完全性定理は、証明するまでもないことだったのかもしれない。

それとも、誰かがまた嘘をついているのだろうか?

(2020年11月19日@nortan)

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