解釈とは、難しい。
まず、例1。
「Aが作る。Bは、Aが作ったものに基づき食べる。」Bは、食べるものと残すものを判断できるか?
料理店など、よほどの頑固店や一流店でない限り、一般的に食べ残しは許容範囲であろう。まして、「食べ残しお断り!」の事前契約がなければ、民事裁判にもなるまい。しかし、家庭では別の問題に発展するかもしれない。答えは、「できる」。
次に、例2。
「Cが渡す。Dは、Cが渡したものに基づき包装する。」Dは、包装するものとしないものを判断できるか?
これが、単にお遊びなら「これは形が複雑で包装できないね。」と拒否することもあるだろう。しかし、売場で上司から渡されたお客の商品を拒否することは、まあ出来ないに違いない。答えは、「できない」。
そして、例3。
「Eが作戦を考える。Fは、Eの作戦に基づき実行する。」Fは、作戦の一部を変更できるか?
あなたが指揮官Fで、戦闘であった場合、上官の命令に従わなければならないだろうが、戦況が変われば現場の責任者として懲戒を覚悟で、作戦を変更して兵士の命を守るだろう。答えは、「できないが、状況によりできる」。
さて、3つの例それぞれ答えが異なる。しかし、どれにも共通するのは「基づき」と「2つの文」になっていることである。もし、どちらの要素も欠けていたのなら、
「Aが作ったものを、Bが食べる。」
「Cが渡したものを、Dが包装する。」
「Eの作戦を、Fが実行する。」
となる。この場合、答えは「できない」になるのだろう。
しかし、「、」や「必ず」「100%」という文言の有無を理由に違った解釈をすることもできる。
そこで、頼りにするのが「先例」である。以前にどうだったかを根拠に解釈する。
しかし、「先例を新しく作る」ために前例を破ることもあるそうだ。もう、何が何だか、どう解釈したらよいのか分からなくなってきた。
言葉が、一意にしか解釈できないのがプログラミングコード。AIに生まれれば良かったのか?
さて、以前に「どのようにでも解釈できるように法律を書くことが官僚の技だ」と聞いたような記憶がある。本当だったろうか?
英語辞書に「KAISYAKU」は「A clever act that makes sense conveniently」と追記されるかもしれない。
(2020年10月3日@nortan)