257、解釈

解釈とは、難しい。

まず、例1。

「Aが作る。Bは、Aが作ったものに基づき食べる。」Bは、食べるものと残すものを判断できるか?

料理店など、よほどの頑固店や一流店でない限り、一般的に食べ残しは許容範囲であろう。まして、「食べ残しお断り!」の事前契約がなければ、民事裁判にもなるまい。しかし、家庭では別の問題に発展するかもしれない。答えは、「できる」。

次に、例2。

「Cが渡す。Dは、Cが渡したものに基づき包装する。」Dは、包装するものとしないものを判断できるか?

これが、単にお遊びなら「これは形が複雑で包装できないね。」と拒否することもあるだろう。しかし、売場で上司から渡されたお客の商品を拒否することは、まあ出来ないに違いない。答えは、「できない」。

そして、例3。

「Eが作戦を考える。Fは、Eの作戦に基づき実行する。」Fは、作戦の一部を変更できるか?

あなたが指揮官Fで、戦闘であった場合、上官の命令に従わなければならないだろうが、戦況が変われば現場の責任者として懲戒を覚悟で、作戦を変更して兵士の命を守るだろう。答えは、「できないが、状況によりできる」。

さて、3つの例それぞれ答えが異なる。しかし、どれにも共通するのは「基づき」と「2つの文」になっていることである。もし、どちらの要素も欠けていたのなら、

「Aが作ったものを、Bが食べる。」

「Cが渡したものを、Dが包装する。」

「Eの作戦を、Fが実行する。」

となる。この場合、答えは「できない」になるのだろう。

しかし、「、」や「必ず」「100%」という文言の有無を理由に違った解釈をすることもできる。

そこで、頼りにするのが「先例」である。以前にどうだったかを根拠に解釈する。

しかし、「先例を新しく作る」ために前例を破ることもあるそうだ。もう、何が何だか、どう解釈したらよいのか分からなくなってきた。

言葉が、一意にしか解釈できないのがプログラミングコード。AIに生まれれば良かったのか?

さて、以前に「どのようにでも解釈できるように法律を書くことが官僚の技だ」と聞いたような記憶がある。本当だったろうか?

英語辞書に「KAISYAKU」は「A clever act that makes sense conveniently」と追記されるかもしれない。

(2020年10月3日@nortan)

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