249、橋の名は

高校時代からの親友に勧められ、4年遅れで、新「君の名は」を映画鑑賞した。

新をつけたのは、昭和の名作「君の名は」が浮かんだからである。それを直接視聴した世代ではないが、クリント・イーストウッド出演映画「マディソン郡の橋」と同じく男女の別かれと出会いを「橋」をテーマに描いた名作である。

「橋」は「端」でもあるらしい。こちらの片端とあちらの片端を結ぶのが橋。彼岸と此岸を結ぶのも橋、私とあなたを結ぶのも橋、過去と未来を結ぶのも橋である。私たちは「たくさんの橋」で、その端の誰かと繋がっているのだ。「橋」は見事なまでに人生の比喩である。だから、新作品にもそれを期待しながら、鑑賞し始めていた。

新「君の名は」は、主人公・瀧と三葉の物語。夢の中で入れ替わりが起こっていた二人は、彗星の接近を機に入れ替わらなくなってしまった。そこで、瀧は三葉に直接会いに行こうと決心する。ところが… あらすじはここまでにするが、新作品は旧作品をリスペクトし、私の期待は当たっていた。

さて、コロナ禍などで私たちの心の中にぽっかりと空いたクレーター。そこにも橋を架けなければなるまい。その端にいるのは、愛する人でもあり、未来の子どもたちでもある。また、ウィルスと戦い旅立った人々でもある。映画のように、私たちはこれらの者たちと入れ替わることはできないが、心の声を聞こうとすれば、今回の困難にも必ず橋を架けることができるだろう。なぜなら、困難に立ち向かう時、私たちが架ける橋の名前は決まっているからだ。

4年遅れで出合った新海誠監督の作品は、男女の出会いを描くだけでなく、「希望」とも出合わせてくれた。時に架ける橋を信じれば、私たちは未来、いや過去でさえも変えることができるのかもしれない。

私たちが架ける「橋の名」は…

(2020年9月14日@nortan)

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