248、桃太郎侍

水槽の水替えをしていると、向こう側に桃太郎待が映っていた。「一つ、…。二つ、…。三つ、…。」と懐かしい決め台詞。今回は三つまでであったが、その途中に、記憶にはなかった「天に代わって」が聞こえてきた時、昔から心の中でもやっとしていた疑問が解けた。

江戸時代であっても慣習法や幕府諸藩の法令が尊重された筈である。どうして、町人である桃太郎侍に私刑が許されたのだろうか。

その他の時代劇、水戸黄門や暴れん坊将軍は統治者として幕府の権威、大岡越前守や遠山の金さんは奉行、銭形平次は岡っ引きとして「悪人を裁く」職務を遂行していたことになる。桃太郎侍のような自粛警察としての私刑は論外で、仇討ちでさえ御上の許可がなければ認められず処罰されていた筈だ。

この疑問を、金魚の向こうの再放送が解決してくれたのだ。つまり、桃太郎侍は鬼退治の場面で天が憑依しており天の使い(天使)になっていたのだ。これで、鬼退治の後、町人たちと微笑み合う場面も納得できた。桃太郎侍は、鬼退治のことを覚えていないのだ。そうでなければ、悪人に命じられたがために切り捨てざるを得なかった手下侍たちのことを思い、鬼退治直後に笑ってなどいられまい。

やっと解決したと思ったが、桃太郎侍が鬼の面をつけていたことに気づいた。鬼は悪人でなく、桃太郎の方だった。それとも、鬼が鬼を退治したということなのか。それなら、時代劇を借りたSFである。

さて、コロナに関わる自粛警察や差別、誹謗中傷に「私が鬼にならなければならない。」と語った首長もいた。しかし、「他県から県内に来るな」と言って不安を煽り、「しっかり対策をしているので、Go to トラベルを利用してほしい」とも言う。これらの首長は、どちらの鬼なのか分からなくなってきた。

それとも、これもSFで目覚めたらコロナ禍は夢だったということになるのだろうか。結局、もやもやする気持ちは増えてしまった。せめて今夜は夢の中で、コロナ禍が明らかにした人の心の弱さ(醜い鬼)を「一つ、…。二つ、…。」と切っていこうと思う。はたして、三つくらいで終えられるだろうか…

(2020年9月11日@nortan 水が澄むと金魚も心地よさそうだ)

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