最近よく聞く言葉「禅譲(ぜんじょう)」とは、君主などがその地位を血縁でない徳のある人物に譲ることだそうである。反対は「簒奪(さんだつ)」で、武力などで地位を奪いとることや、「放伐(ほうばつ)」で有徳な後継者が暴君を追い出すことが当てはまるようだ。
中国の伝説の観念で、権力の奪取を正当化するために「簒奪」や「放伐」を「禅譲」と称したことも多いらしい。まあ、歴史とはそういうものなのだろうが、「世襲」とは異なる観念であり、ある意味「実力主義」に分類されると理解した。今の中国も最後の清皇帝から禅譲されたようだ。その他に、人気時代劇の当たり役を演じてきた役者が、その後を後輩役者に譲ることも禅譲というらしい。
ところで「禅」の字を当てているのはどうしてだろうか。権力を譲るタイミングを数日間静かに座して熟考するからだろうかと想像しながらググッていると、気になる概念に出合った。
禅譲が行われると、国名を変えるのが慣例だそうだ。考えてみると、歴史年表に書かれていた中国王朝の数だけ形式として禅譲があったことになる。ただ、我が国では、奈良、平安…平成などと書かれているが、これは禅譲でななく「時代」区分である。だから日本は、古代から途絶えずに続いてきた伝統ある国家だといえる。
もし「禅譲」が事実であれば、今度の禅譲で日本は「別の名前」になってしまうではないか…何気にテレビや新聞で使われるようになった言葉だが、大変なことである。それとも、人気時代劇のように今回の禅譲は、単なる役者の交替という意味なのだろうか。どちらの意味で使っているか尋ねなければ、心配で夜も眠れなくなりそうだ。
(2020年9月10日@nortan)