226、呼び捨て

子どもの頃、クラスメイトとあだ名で呼び合っていた。いつ、誰からともなく、当たり前のように授業中も親しみを込めて呼び合っていた。確かに、子ども同士の力学も働いていて、クラスにジャイアンやスネオやのび太のような関係や決めつけもあった。しかし、しずかちゃんのような正義もちゃんと働いていたように思う。

いつからか、あだ名はいじめに繋がると、男の子は○○くん、女の子は○○さんと呼ばなければ注意されるようになった。たけしくん、スネオくん、のび太くん、しずかさんの時代だ。確かに、ルールもはっきりしていて合理的だ。

それが、最近は男の子と女の子を区別するのはおかしい。どちらも○○さんにしなければいけないとなった。たけしさん、スネオさん、のび太さん、しずかさんの時代だ。ようやく、日本もここまで先進国家になったものだと思う。

少しばかり前であるが、大型ショッピングセンターで、親が我が子を呼び捨てで呼んでいた。すると、子どもが親を「名前を呼ぶ時は、○○さんでしょ。学校で教わらなかったの。」と叱っている様子を見かけた。これからは、超少子超高齢化の時代。大人が積み上げた未来への借金を背負ってくれる子どもたち。親も我が子を○○さまと呼ばなければ申し訳ない。たけしさま、スネオさま、のび太さま、しずかさまが未来のスタンダードだろう。

だからと言って「昔は良かった」という懐古主義も間違っているし、表面上平等主義を装っている見せかけ社会も間違っている。私たちは、どこに向かっているのだろう。

さて、私のことを愛情を込めて呼び捨てで呼んでくれた伯父が、今日旅立った。仕事の帰り道に我が家を訪れた時、いつも私にキャラメルをくれたので「キャラメルのおじさん」だった。今頃、父と出会って「そうか。」「まあな。」なんて兄弟でしか理解できぬ話をしているに違いない。もう一度、電話で私の名を呼んでほしいと思う。

一律に○○さんと呼ばなければならない押しつけルールが、子ども社会の豊かさを奪ったかもしれないと感じるのは、私だけだろうか。

(2020年6月15日@nortan せめて明日は、懐しいキャラメルを供えたいと思う。)

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