221、自己決定権

香川県のゲーム条例が揺れている。「ゲームの時間は1日60分以内。それを越えると学力が低下するというデータもある。」おそらく学力調査等と合わせて行った生活実態アンケートのクロス集計なのだろうが、それは本当に学力低下との因果関係だろうか。理由は他にあるように思う。ただ、昼夜逆転するようなゲーム依存症は病気として治療が必要な因果関係ではある。毎年学力調査で「上位は○○県で、我が県は順位が下がった。」なんてやるもんだから、変な理由探しや競争目標ができてしまった。

また、子育て世代の大人の中にはは、我が子の生活態度に「ゲームの時間を法律か何かで決めてほしい。」と願っている者もいるだろう。子育ては本当に難しい。法となれば、「法律で決まっているからゲームを止めて、勉強しなさい!」と躾けやすくもなる。つまり、両者の思惑が一致して条例になったのだろうか。

いつから私たちは、自分の生活を誰かに決めてもらわなければいけなくなったのだろうか。いや、この場合は自分ではなく、自分が教育しなければならない子どもが対象だ。つまり、私たち大人の教育力が低下したのだろうか。以前なら、学校に求められ校則となったが、学校の権威が低下し、県の条例に求められるようになったのだろう。この傾向が強まれば、次は国会で法律にしてほしいという事態になるのだろうか。

第1回コロナ危機を警察権力の出動なく国民の主体的な協力と努力で回避できた事実と、ゲーム条例の精神は相反しているように感じる。私たちの本質はどちらであるかは、無人島でサバイバル生活をすれば分かるのだろうか。米人気ドラマ「LOST」を思い浮かべたら、どちらも同じなのかもしれないと思えてきた。だから、だれかをリーダーに据えて「○○宣言を出して下さい。」になるのだろうか。どこか、西部劇に登場する「俺のルールは俺が決める。」という荒くれ者の方が頼もしく思えてきた。もちろん、保安官は大変であるが。

(2020年5月26日@nortan)

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