哲学は全ての学問の根本であり、真理を追究する弁証法だ。。ソクラテスやプラトンは、問答による矛盾の発見で真理に辿り着こうとした。
ピタゴラスは、「世界は有理数からなる」を真理とする学派を守るため、無理数という矛盾を発見した弟子を殺害したと言われる。それ以降、矛盾は隠されるタブーとなった。
その矛盾をも含めて、対立しながら真理に到達しようとしたのがアウフヘーベン、ヘーゲルの現代弁証法だ。
しかし、ニーチェは弁証法によっても真理には辿り着けない。一回性の連続によって同じ人生を何度も繰り返しているだけだ。その為に、超人的な強さが必要だと永却回帰を主張した。
どこか仏教の輪廻思想にも似ているが、輪廻は繰り返しながらも高まっていく(変化していく)螺旋ループである。対して、ニーチェの主張はリングである。
さて、ウイルスが強毒性を獲得して人類の災いとなることも繰り返している。この事実は、ニーチェかブッダか、どちらで受けとめれば良いのだろうか。連日の国会やテレビでの論議が弁証法であるならば、いつか真理に至るのであろうか。そして、それが矛盾だと悟ったなら、ピタゴラスには聞こえぬように真理は胸の中に閉じ込めておかねばなるまい。
(2020年5月14日@nortan)