217、究極の目的

「『学び』の構造」という本を読んでいたら、私たちはなぜ学ぶのか?人類の究極の目的は何か?と考え始めてしまった。

それは、真理の追求だと考えた。それでは、真理とは何か? 真理とは人類が存在する理由として何時如何なる時も必ず真「TRUE」と判断できることと定義した。つまり、私たちには、人類の種として約400万年から課せられたミッションが一つあるということになる。それは、何だろうか?もし、歴史の中で誰かが気づいたのなら、今、私たちは、巣穴から角砂糖に一列に向かう蟻たちのように、そこに向かって一直線に生きているのだろう。しかし、そうではない。ということは、人類は未だ真理に気づいていない。

そこで、真理など存在しないと考えた。ただ、それぞれの人生を繰り返しているだけだ。とニヒリスティックに考えてみた。それなら学ぶことなど止めて、今を楽しく生きれば良い。つまり、現世を快楽主義で全うすることが真理となり、最初の「真理など存在しない。」が背理法的に否定されて矛盾が生じた。やはり、真理は他に存在する。

人類が気づけない真理が存在するということは、それを知っている存在がいるということだ。つまり、人類の誕生以前に神が存在していることになる。

科学者は、一見無宗教的だと思われるが、真理を追求し続けるほど、神の存在を認めざるを得なくなるようだ。現在の科学万能の時代の次は、中世のような宗教世界ではない、新たな宗教世界になるのかもしれない。ひょっとしたら、「神は存在する。」が求めていた真理なのだろうか。

さて、私たちは神の知(真理)に近づくため、確率的にいつか必ず起こる巨大隕石の衝突も乗り越えて宇宙の中で人類としての種を維持していかなければならない。もちろん、ウイルスの攻撃に負けてなんかいられない。

(2020年5月21日@nortan)

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