最近よく聞く言葉、2020年の流行語候補だろうか。使う者は、あえてこの言葉を使うことで「今は平時ではなく、戦時だ。」と伝えたいに違いない。
各国のトップは、ウイルス感染と経済危機の「二つの戦争」において、犠牲も強いるかもしれない責任ある判断を委ねられているはずだ。先月見た戦争映画の「上官たる者、兵隊の命を預かっているのですぞ。」といったセリフと重なった。やはり、今は戦時だ。
「不要不急の外出を避けよう」「コロナに勝つその日まで、新しい生活様式を!」など次から次へと生まれるスローガンも、どこか「欲しがりません。勝つまでは。」に似てきた。。やはり、今は戦時だ。
ゴミ袋から作った防護服で休みなく戦う医師と看護師。届かぬ物資やPCR検査基準に「誤解だ。私たちは以前から申し上げてきた。(勘違いしたのは現場の責任だ)」の答弁も、映画の「物資は今あるだけだ。お前たちの部隊で何とかするのだ。」と精神論で恫喝した司令官殿に似ている。やはり、今は戦時だ。
さて、出口戦略と言いながら、守備一辺倒だ。出口戦略は免疫力だが、「免疫があっても、再び罹患しないとは言えない。」という専門家の話。考えれば、元はコロナウイルスは風邪の原因ウイルス。インフルエンザも予防接種をしても罹患する。唯一の出口戦略も怪しくなってきた。出口はなく、もはや退却戦術しかないのだろうか。映画で「退却!」と叫びながら、落とし穴に落ち、銃弾の雨に倒れていく兵士たちの描写が悲しく重なった。やはり、今は戦時だ。
自らも感染するリスクよりも職務としての使命を優先し、「医療関係者の子どもだから、来ないで下さい。」という家族への社会的排除にも耐えている医師や看護師、医療関係者を精神論で失ってはいけない。よく考えれば、今は平時。決して、戦時ではない。
退却もできぬのなら、新しい時代の「入口(政策)」を探すしかない。
(2020年5月11日@nortan)