202、同じ虹

虹の色は?と尋ねられれば、私たちは七色と答える。世界では多様性を表すレインボー旗のように、藍色がない6-colorが標準だ。ところが、最初はピンクとトルコブルーを加えた8-colorだったらしい。製造上の理由で六色になったという。

ということは、見えている世界と表現する色数は別ということだ。虹を2色で描く文化は、二色にしか見えていないのではなかったのだ。簡便性のためにそう表現しているのだろう。表現に違いがあっても、私たちは同じ虹を見ているのだ。

また、現在60才以上の人は白黒で、それ未満の人はカラーで夢を見ると答えるという話もある。真偽は判断できないが、これはテレビの影響ということだ。子どもの頃の白黒テレビが夢の認知とリンクしてしまったのだろう。しかし、白黒であっても水墨画のように豊かな世界を感じていることでは、カラーの夢に劣らない。

それに比べて「言葉」はどうだろう。そもそも有限個しかない。比喩的表現を駆使しても色の無限性にはかなわない。そのため、受け取り方や行間の読み方によって誤解も感動も生じる。表現には限界や間違いがあり、同じ世界を共有することができない。ただ、「相手に伝わるはずだ」という幻想によって、私たちは同じ虹を見ているのだ。

写真や絵画のように、思考の世界を言葉で「そのまま」切り取り、伝えることができたらどんなに素晴しいだろうか。そうすれば、人類の文明は飛躍的に進歩するだろうし、相手を見下して戦争になることもない。

ひょっとしたら、私たちの言葉も製造上の理由で2色削られているのかもしれない。それなら、例えば「謙虚」と「博愛」の色を加えて、平和の旗を作るのはどうだろう。

(2020年5月2日@nortan)

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