例えば、移動手段。徒歩よりも馬、車、新幹線、飛行機。弥次喜多さんが4日かけて東海道を歩いた距離も、電車と新幹線で3時間だ。
また、計算時間。小石数えよりも筆算、算盤、電卓、コンピュータ。最近、従来のコンピュータで1万年かかる計算を、Googleの量子コンピュータが200秒で実行したそうだ。
私たちの文明は、「より速く」をキーワードに距離と時間の未体験社会を切り拓いてきたようだ。しかし、未体験なものごとは「確かめる」ことは必要。そこで、このキーワードで私たちの進化をとらえ直してみると、デジタル文明の次が見えてきた。
弥次喜多さんが見てきた伊勢参りでの土産話を確かめるには、同じ4日かけて移動するしかなかった。それが、今は移動すらせずにコンピュータ(スマホ)で検索できる。また、筆算で求めた計算結果が正しいかどうかもコンピュータで確かめられる。これらは、デジタル文明の恩恵である。
一方、量子コンピュータの答え。これは、どのようにして確かめることができるだろうか。
結局、従来のコンピュータに計算を続けさせて1万年後を待つしかない。これでは「確かめる」の意味を『生きているうちには、分からない』に変えてしまいかねない。また、たとえタイムマシンが発明されたとしても、理論的にタイムマシンは未来への一方通行だから、「確かめる」の意味は『真偽が分かっても戻ってこられない』になってしまう。つまり、デジタル文明の次は実際には確かめられず、50%正解のようにしか言えない確率文明だということが見えてきた。そもそも、量子コンピュータは、確率ビットで演算しているのだから、やはりデジタル文明の次はあらゆることが確かめられない「probability(確率)文明」に違いない。
ところで、Googleの量子コンピュータの200秒。調べてみると、人間には既知の計算を行ったようだ。つまり、1万年もかけずに解けるものらしい。何てことだ。量子コンピュータの計算は速いのではなく、超遅い。また、温度管理ができなければ、間違う確率も高いのが真実らしい。人間の方が、量子コンピュータよりも優れていたのだ。ネクストデジタル文明は「人間復活(ルネッサンス)文明」なのかもしれない。
さて、2020年の天気はどうだろうか。スマホで確かめようか。それとも、子どもの頃のように靴を跳ばして占おうか。probably、西の空に沈む夕日を眺めて「心で感じる」のが良さそうだ。
(2020年1月3日@nortan 元日の旭にルネッサンスを感じて)