189、確率的輪廻

私たちは生まれ変わり、つまり輪廻は良いことだと信じている。

そもそもインド哲学では「輪廻は苦行であり、そのサイクルから抜け出ることが解脱で、唯一の方法が仏となることだ」と聞いた。仏になるためには、生まれ変わりを通じて悟りに近づかなければならないのだから「生まれ変わって再び出会いたい」という願いは微妙だ。なぜなら、再び出会うことで同じ生を繰り返していては「悟り」には近づかない。多少なりとも前世の記憶が情報共有できなければ、修正すらできない。無限苦行のループに陥る。

しかし、釈迦仏の次に仏となるのは、5.6~56.7億年後に菩薩界で修行中の弥勒菩薩だと言われている。だから、私たちは無限苦行ループを廻りつつ、ほんの一瞬の修正を繰り返しながら弥勒菩薩以降に備えているのかもしれない。

一方、戒名で他人以上に現世の煩悩である金銭を浄化すれば、これらの修行を超越し短期間に仏となれる道もあるようだが、これでは生まれ変わって再会することすらできない。

私も煩悩が多いから、この特権を行使しない限り、ほぼ100%来世も「自分」に生まれ変わり、出会うべき人に再会しながら「悟り」に近づく苦行を、何億回と繰り返すのだと、確率的に悟った。

さて、前世を修正する「情報」はどのように届くのだろうか。それは、階段を左右どちらの足から上ろうかという何気ない「選択」かもしれないし、今晩みる「夢」かもしれないと思う。

苦行かもしれないが、再会のために、現世で一瞬届く「情報」を見逃さないように修行を続けたい。

(2019年12月22日@nortan 義父の三回忌で手を合わせて)

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