186、漢字 or ひらがな

物の値段は、需要と供給のバランスで決まる。同様に、言葉もそうなのだろう。

先日、職場で年上の同僚から、彼のミスを「そんなに気にしなくてもいいと思う。」と話していたら、「首を吊って死ね。」と言われた。冗談だったにしても、他人に平気で「死ね」を使える時代なのだ。何度ゲームオーバーになってもリセットできるゲームが、そんな文化を生んでしまったと思っていた。しかし、ゲーム文化は私たちの精神世界をも確実に蝕んできていたのだ。お笑いブームで、「あほ・ばか」と言われることへの免疫がついてしまったように、10年20年後の日本人は「しね」と言われても、笑って「そんなこと、するか!」と返しているのだろう。つまり、テレビやメール・SNSなどで、以前は使用することをさけていた言葉の供給が需要を上回り、使う者にとって空気のような重みになったのだ。しかし、投げつけられた側は穏やかではない。

さて、これも職場の恫喝派同僚である。彼が「『~ください』は使うのをやめませんか。『~しなさい』で十分だと思う。」と発言したのを機に、改めて「ください」を調べてみた。やはり「ください」には2つの意味があった。身分制度として上の者に懇願する意と、「です・ます」のように丁寧語として相手に依頼する意である。だから、お客様に「~ください。」と使用するのを「~しなさい。」と換言すれば大変なことになる。

そこで、官公庁としては「下さい(漢字)」をgiveの意で、「ください(平仮名)」をpleaseの意で使い分けるようにしているらしい。つまり、漢字で表記するか平仮名で表記するかによって意味が90~180度変わってしまうのだ。確かに「あほ・ばか」も「阿呆・馬鹿」とは感じが違う。日本語は、随分難しい言語だ。

ところで、先日の「死ね」も「しね」だったのかもしれない。次回があったなら、

「私の答えは、今の言葉が平仮名なら『そんな、あほな!』、漢字なら『何でそんなこと言われなあかんのや!』です。できれば、話すと同時に文字で表記していただけるとありがたいです。ちなみに、この『ありがたい』は平仮名表記です。」

と論理的に言い返すのが良策か、黙って笑っているのが良策か、無視するのが良策か?大人の対応は難しい。

(2019年12月21日@nortan 感情的な地球人は論理的なバルカン人にはなれないようだ。)

コメントを残す