1964年の前回東京オリンピック。大戦の焼け野原から、新幹線や高速道路、空港など国土整備など奇跡と言われる復興を成し遂げた。国民がひとつになるための祭典でもあった。我が父は都民ではないが、パラリンピックでボランティアを務めたことを語ってくれた。
そもそも、クーベルタンの提案によって1896年に始まった近代オリンピックは、当初は万国博覧会の付属イベント的性格をもっていた。また、オリンピズムによると「都市開催の祭典」である。当初は参加国も少なく、開催地に名乗りを上げる都市も少なかったという。それが、ロケットマンが降りて立った1984ロサンゼルスオリンピックで商業的に成功して以降、8年後12年後を争う熱狂となった。確か、IOC委員の買収なんて騒動もあった。
先日、2020TOKYOでのマラソンを札幌で行うという案がIOCから提示され、東京都知事が不快感を示した。近隣都市との共催案が出た時もそうであったが、最終決定権はIOCにあるのだろうから、近年の猛暑を踏まえると、オリンピック最終日にランナーは札幌ドームでゴールテープを切ることになるのだろう。
さて、先日の台風で東京都台東区の避難所に避難した男性らが「住所は?」と問われ、「北海道」とか「ない」と返答したことを理由に入場を拒否されたこと。マラソンとは関係ないだろうが、避難所まで都市開催になったのだろうか。
オリンピックが都市開催であるのは、国家の対立(つまり、第一次大戦)への反省からでもある。しかし、万国博覧会にしても、オリンピックにしても、その他諸々の会にしても、都市開催であることが都市間の対立になっているように思う。誘致活動に尽力したのは東京都であることは確かだが、住所が何処であるかによって「国民の心に壁ができた」のであれば、56年前と真逆の祭典になってしまわないだろうか。
(2019年10月20日@nortan)