「あずき」は和語で、大豆に対する読みは「しょうず」である。五穀に含まれたり含まれなかったりするが、古くは、紀元前4000年前の縄文遺跡からも発見されている。大豆と同じく随分古くからの日本食であるが、全く異なる品種だ。しかし、野生種のヤブツルアズキを高級小豆「大納言」にまで品種改良し、砂糖で甘く煮て和菓子として食べまくるのだから、日本は大豆に負けないくらい小豆大国である。
大豆は植物性タンパク質の多さから「畑のお肉」とされるが、小豆にはサポニンの血糖値抑制効果やポリフェノールの抗酸化作用など幾つかの薬膳効果が確認されている。ゆえに「畑のお薬」と命名してよいだろう。白砂糖にさえ気をつけて、餡子をもっと食べれば、健康寿命でシンガポールを追いこして世界1位になれるかもしれない。
さて、万葉歌には「小豆無(あずきなく)」がみられる。「味気無(あじきない)」の古い形で「満足できない・相応しくない・不当である」の意である。
そういえば子どもの頃、赤飯の小豆を一粒一粒取り除いて食べていたことを思い出した。(フルーツ缶のみつ豆も然り)本来、赤飯は赤米であり小豆は入れてなかったのだから、取り除くのは発祥的には正しい。赤く染めるためだけに白米に混ざった小豆は「小豆無い(相応しくない)」である。しかし、年を重ねれば、赤飯に小豆の苦みがないのは「味気無い(満足できない)」だ。薬膳効果を疲れた身体が求めているのかもしれない。
そこで明日から毎日、和菓子を食べまくろうか?三食を赤飯にしようか?あずきバーを朝夜食べようか?と考えていたら、小豆(上手)に食べなければ、過ぎたるは猶及ばざるが如しと気がついた。兎に角、コーヒー同様、苦みの分かる大人になったことは間違いない?
ダバダー♪ダバダー♪ウー♪
(2019年9月29日@nortan)