240、Split-Brain

危険な発作を抑制するために、治療として脳の右半球と左半球とをつなぐ脳梁を断つと、左目で見た絵の名前を答えられなくなることが分かっている。しかし、見たと思うものを左手で描かせた後に、それが何であるかを問うと正解する。このことは、左脳で言語認識を、右脳で図形認識を分担していることを示唆している。

一方、人間は生まれつき脳の半分を失っていても、残り半分がそれを補うたくましさがあることも知られている。

そこで、脳は左右別々の人格をもつと主張する研究者もいるようだ。ジキル博士とハイド氏のような二重人格を誰もが持っているというのだ。そんなことはないと思うが、アルコールが人格を変えて(隠して)しまう症状や、心の中に善と悪があって生じる葛藤を否定する人はいないであろう。他に「現実」を生きる人格と夢などの「空想」を生きる人格に二分すると、理解しやすいのかもしれない。

さて、人間の内面がどのように幾つに分離されていたとしても、選択できる行動はひとつのみである。例えば、左脳が他の脳領域も投票に参加させるべきと主張し、右脳が右脳だけで決めてしまえと主張したとしても、行える選択はどちらかである。しっかり脳梁を通して話し合ってもらいたいものだが、脳梁が切断されていてはそれもできまい。

もし、このような状況に陥った時に有用な方法がある。それは、外に目を向けることである。そして、感じたままを絵に描く。その世論という絵を、左脳と右脳で再認識して決断してはどうだろうか。自分に都合よく選択するよりも、1億2000万の支持が得られるはずである。

(2020年8月30日@nortan)

コメントを残す