日本の留学生は、隣国の35分の1で年間約2万人だそうだ。「豊かになり、もはや外国に学ぶことはない。」と思っているなら、それは「先発の奢り」で、日本は「茹でガエル」になってしまうと、実業家の小林喜光さんは警笛を鳴らす。
戦後、焼け野原に社会インフラを整備し、アナログのモノづくりで世界トップの経済力を手に入れた我が国も、今や古いインフラとかつての栄光が邪魔をして、新しいデジタルのコト(ソフトウェア)づくりとグローバル化の波に乗れていないのだ。プログラミング教育の必修化は、遅ればせながらその波に乗ろうという足掻きなのだろう。しかし、教育の成果は10年、20年後にしか表れない。その頃には、今の波は沖の彼方。慌てて、中国に遣唐使をなんて時代になっているかもしれない。飛鳥奈良時代に、命がけで海を渡った大和魂は、24時間何でも手に入り、家に居ながら商品を受けとれるようになった「今は豊かな国」には不用な魂なのだろう。豊かにつかっていると「未来を見る力」が衰えるようだ。
さて、世界の三大投資家の内の一人が「将来のことを考えるなら、日本から脱出しなさい。」とバラエティ番組でタレントにアドバイスをしていた。そして、先日「100才まで生きるって、考えたことある? (あるケースでは)2000万円の赤字。その分は自助努力しないと…」の大臣発言。茹でガエルならまだ幸せで、痩せガエルになってしまう心配も現実味を帯びてきた。留学生はUターンだが、Iターンの移民となっては元も子もない。
ところで、政府から流される情報に一喜一憂するのではなく、何らか意図を詮索すれば、心配すべきは他にあるのかもしれない。たとえ、痩せガエルになったとしても、この国が故郷。せめて「負けるな一茶、ここにあり」と「未来も豊かなこの国」を夢見よう。(2019年6月9日@nortan年老いても夢見れる国でありたい)