148、勘違い

東から昇った太陽が、南の空を通って西に沈む。事実は、地球が東に向かって自転しているのだ。

サイコロを5回振ったら、1の目が5回続けて出た。確率は「1、1、1、1、1」も「1、5、2、3、6」…も、同じ6の5乗分の1だ。

大昔、祈祷師が雨ごいをしたら、数日後、祈りが天に届いて雨が降り出した。彼は天に通じる神通力をもっている。今で言えば、週間天気予報で雨が降ることになっていただけなのだろう。

会社の赤字を黒字に回復した。ワンマン社長が、私の実力だと思った。そう思うのは勝手だが、社員たちの努力や知恵に感謝しなければならない。また、成功したのは、私の努力の賜物だと思う。それは、生まれた環境と育った環境、少しばかりの幸運に恵まれていただけなのかもしれない。

科学の発展で私たちの文明は進歩している。未来はもっと豊かになり素晴しいと推測する。しかし、科学の進歩と裏腹に、人間の脳や心は退化し、種としての寿命は終末に向かって突き進んでいるのかもしれない。もし、地球外知的生命が地球人を発見していたとしても、会いたいだろうか。

「我思う。故に我あり。」自分の存在を疑っている私が実在していることだけは疑えない。デカルトによる意識の発見である。しかし、本当は、意識ですらプログラムコードで、私たちは仮想世界の実験的存在(実在)なのかもしれない。

ああ、私たちが気づくべき勘違いは幾つあり、気づかないほうが幸せな勘違いは幾つあるのだろうか。(2019年3月20日@nortan)

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