Rock-scissors-paper=じゃんけんは、世界標準になりつつある。日本発祥で、江戸~明治期の熊本地方起源説が有力だ。もとは幾つかの拳遊びがあったようだ。グー(0本)からパー(5本)までの六すくみで、1つ大きい方が勝ちという遊び。知らずに以前やってみたが、どのように勝負を判定するかが難しい。その上、3人以上でやるとさらに複雑になる。勝敗は「1つ大きい方が勝ち」らしい。その後、0と2と5だけ残り、今の三すくみになったようだ。じゃんけんは、明治以降、日本人が海外に広がるにつれて世界に広まっていった。文化的には、柔道などの広がりも世界標準に貢献してきたようだ。
また、オリジナルに比べると若干の地域差も生まれている。九州にはある男チョキ(親指と人差指)が東京では女チョキ(人差指と中指)だけになったり、隣国では紙が硬い二重紙であったため「布」であったり、西洋では、紙の意のままパーは指を閉じたり、テレビの影響で「最初はグー」を出したりなど…。じゃんけんの世界も奥深い。将来は、世界で初めて出会った人といきなりじゃんけんをすれば、出身国など分かるということにもなるだろう。勝った方から、笑顔で「それでは、私から自己紹介。…」とやれば、すぐに意気投合だ。
しかし、六すくみの時「グーはパーに勝ち」だったというから、地域によって判定まで違っては、笑顔で挨拶とはいかない。「石は紙をやぶるから、グーの勝ち!」「切られる前に鋏を包んだから、パーの勝ち!」と屁理屈で勝ちに固執しすぎると、後の挨拶で笑顔になれない。「負けるが勝ち」といきたいものだが、反対に「謝罪を要求する!」なんてやられだすと、和の心で「あなたから、お先に。」とも言えない。逆じゃんけんで後出しを認めても、後出しで「勝ったつもりで、負けてしまう」のも勝ちへの強いこだわりを表している。
さて、グーとチョキがどちらが勝ちか、どちらが謝るかと揉めだした。そもそも、仲良く勝敗を決めるためのじゃんけんが紛争寸前だ。パーから見たら、既に勝敗はついている。これは、石も鋏も一緒に紙で包み込むしかないか…と思案するが、紙も近頃「自分が一番だ」主義だった。これは、もう昔の六すくみじゃんけんに戻して、多数決で決着させようか。もし、3対3になった時「引き分け」と笑顔で握手できるだろうかなどと、いろいろ考えた。どうやら、じゃんけんは広まっても、その心は広まらなかったらしい。まだまだ、世界標準の道は険しい。(2019年1月5日@nortan)