139、言葉の力

言葉を聞いた時、私たちの脳は記憶にある意味リストと照合して、相手の意図を理解しようとする。この意味リストは、人によって、また状況によって微妙に異なる。だから、根本的に互いの思いを100%正確に受けとめ合うことは難しい。

「左のほっぺに蚊が止まっている。」と教えてもらったので、左手でパチンと左頬を叩いた。すると、「ちがう!左の方だよ。」言われた。

「明日、ここで5時からの映画。見たいね。」と誘った。「映画っていいね。」と返事があった。しかし、次の日どれだけ待っても待ち人は来なかった。メールを送ったら「ごめん。行くとは言ってないよ。」と戻ってきた。

「財布を忘れてしまった。もう、最悪だ。」とおっちょこちょいを嘆いた。すると、弟に「よかったね。」と言われた。「どうして、そんな風に言うの?」と怒ったら、「だって、姉さんには今後それ以上の悪いことは起こらないってことでしょ。」と言われた。

子どもの頃、父と家の前でキャッチボールをしたことを思い出した。私は、速くてグローブにドシンと吸い込まれるボールを受けとめることに精一杯だった。そして、私が返すボールは、父の右や左にそれることが多かった。それでも、文句を言わず根気よくキャッチボールは続いた。例えるなら、言葉はボールで、そのやり取りはキャッチボールである。

さて、「言葉には力がある」と結論づけたかったが、ここまで書いて、それは違うことに気づいた。言葉自体は無力だ。ましてや、言葉で相手の考えを変えることは至難の業かもしれない。しかし、それでも「言葉のキャッチボール」で互いを懸命に理解しよう、説得しようとする私たちの姿こそ、素晴らしいのではないだろうか。(2018年12月27日@nortan)

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