京の都で帰り際に「お茶漬けでもどうですか。」と言われたら「ありがとう。でも、結構です。」と断わるのが正しい返答である。桂米朝の「お茶漬け」をYouTubeで聴きながら、あらためて日本文化、特に京の文化は奥深いと思った。
日本で生活を始めた外国人が戸惑うのが、思ったことを遠回しに伝える文化らしい。私たちは、それを遠慮とか謙虚とか「空気を読む」とか表現する。だから、異なる文化と出会った時、私たちの表現では通じない。できる限り率直に分かりやすく伝え合う必要がある。言葉には、そのままには受けとれない色があり、それは幼い頃からその文化圏で育つことで染まるものなのだ。
しかし、世界の成熟した言語に共通なものもある。それは、イロニーである。おそらく、原初言葉は語彙だけで「風呂?」「寝る?」的な会話だったろう。そして、組み合わせという文法で「風呂に入ってから寝る?」と順序も表現できるようになった。その後、文化的色が加わり「風呂に入ってから寝る(今日は疲れたでしょう)?」の隠喩や「風呂に入ってから寝る?(今日も会社の飲み会だったの!このところ毎日ね!)」の皮肉(イロニー)も含むようになったのだろう。
さて、だから人工知能の最終目標は、「空気」ではなく「言葉の色(イロ)を読み取ること」だ。回転寿司の受付をプログラム通りにこなすだけでなく、お客の冗談や駄洒落を聞いてタイミングよく笑ったり、「このところ、お疲れのようですね。お寿司を食べて元気をつけて下さい。」と癒してくれたりすれば素晴らしい。もし、実現すれば、日本文化の代表として諦めずに国際会議で商業捕鯨について熱弁をふるってくれるに違いない。
ところで、回転寿司の帰り際、そんな人工知能に「お茶漬けでもどうですか。」と誘われたら、何イロで返答すればよいだろうか。(2018年12月24日@nortan)