134、じゃんけん

空母の導入を巡って、専守防衛の原則を越えてしまうかどうかの議論があった。問題の核心は、空母が攻撃できるかどうかではなく、国民を守るために必要不可欠かどうかだろう。国家が国民の安全を保障することができなくなれば、思想家ジャン・ジャック・ルソーのいう国民と国家の社会契約は破綻してしまうからだ。

思い起こせば、子供の頃に見ていたアニメ・マジンガーZは機械獣が国土に現れ、暴れはじめてからの出撃だった。時には基地近くに現れるまで待ち、バリアで守られた基地を背に戦った。秘密戦隊も、宇宙から来たウルトラマンも東京のビルが破壊されてからの変身だった。戦後、いかに私たちは無意識のうちに専守防衛のヒーローを見てきたかと思う。

さて、完璧なる防衛はあり得るだろうか。戦争の形も機械獣(兵士やドローン)を送り込み遠隔操作したり、領土外からボタンを押してミサイルを打ち込む「アウトレンジ戰法」となっている。サイバー攻撃で原子力施設を破壊されるなんてことも想定される時代だ。これらを事前に察知し、領土に侵入した瞬間に防衛する。これが専守防衛で、そのためには、宇宙人なみの超技術力か、ドラえもんの道具が必要だ。特撮セットのように、壊れたビルは元にもどらない。最初の犠牲は覚悟しなければならないかもしれない。

そこで、防衛空母をじゃんけんのパーに例えてみた。私がパーを出せないと知っていたら、相手はグーを出し続ければよい。2分の1の確率で勝つか引き分けとなり、負けることはない。同様に、相手がミスをしない限り、私は勝つことはない。これを、専守防衛と言うのかもしれない。如何なる時も、パーは出さない。それは、非暴力を貫いた偉人ガンジーの信念に近い。

最近、小学生が「じゃんけんは、なぜ3種類なのか?」を研究し「奇数だと勝負が平等になり、5種類以上だと覚えられなくなる。」という可愛らしい結果になったと話題になった。どうやら、私たち大人は、増やすことばかり考えていたようだ。小学生に「ミサイル、戦車、空母、ステルス戦闘機、…とじゃんけんの種類を増やすのではなく、世界中の国々が信頼し合い、ひとつに減らして『あいこ』にしかならない平和を築きなさい。」と教えられたような気がしてきた。ならば、グー・チョキ・パーのうち、何を残そうか。そうだ、あれが良い。あれなら握手かハイタッチで仲良くなれる。(2018年12月23日@nortan平成最後の祝日に平和を思う)

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