1桁どうしのたし算では、たして10を超える計算が難しい。例えば、8+7はいくつもやり方があるようだ。1つ目は、後ろの7を2と5に分けて、8+2+5=10+5=15とやる方法。2つ目は、前の8を5と3に分けて、5+3+7=5+10=15とやる方法。3つ目は、どちらも分けて、5+3+5+2=5+5+3+2=10+3+2=15とする方法。イレギュラーなのは、ひき算を使って、10―2+10―3=20―5=15とする方法。これらは皆、数をさくらんぼのように分けるので通称「さくらんぼ算」と呼ばれている。幼い頃、そんな計算を聞いた覚えがないから、忘れてしまったか、習っていないか、まだ名前がついていなかったのだろう。
さて、最近、親からのクレームに「そんな難しい教え方をしてもらっては、たし算が分からなくなるから止めさせてほしい。」があったという。素直に解釈すると「さくらんぼ算でいろんなやり方があり、どれでも求められる。」なんて教わった子どもが混乱して親に相談したのだろう。だからといって、それをすぐにクレームとするのもどうかと思うが、8+7=15は自然にできるようになるというものでもない。先程のやり方を全て理解する必要もないが、どれかで納得しなければならない。教師は、「どれか一つの方法で納得すればいいんだよ。」とつけ足すべきだったかもしれない。そもそも、算数の面白さは「幾つかのやり方があって、その中からいちばん納得できる方法を選べること」だったと思う。ひねた解釈をすれば、クレームをつけた親は「マニュアルのように、1つのやり方を教わること」を求めていたのかもしれない。
私たちの人生を算数に例えると、幸せという答えに辿り着くため、喜びをたし算したり、悲しみをひき算したり、一人ひとり違った「さくらんぼ算」だ。「いろんな選択があって混乱するから、生き方を一つに決めてほしい。」と神様に文句を言う者はいない。ある意味クレームをつけた親の気持ちも理解でき、必ず幸せになるマニュアルなんてものがあったら手に入れたいとも思う。しかし、自分の人生はイレギュラーであっても納得できる『さくらんぼ』でありたい。(2018年12月9日@nortan「わーたし、さくらんぼー♪」と聴こえてきたようだ。)