電車窓から見えるのは、四角いビル、同じ看板、同じショッピングセンター、同じような高架橋、道路と信号機、車に人、何処に住んでいても同じ街並。昼食は、近所にあるのと同じコンビニでいつものサンドイッチと野菜ジュース。違う街に来たと感じられるのは、駅のお土産のゆるキャラくらい。旅への感受性が衰えたのかもしれない。インドでは自由の女神の2倍・240mの世界最大の立像「鉄の男」が完成した。インド部族統一の貢献者サルダール・パテールだという。真似て日本中に巨大戦国武将像が建つのも面白いが、人物像では批判も出るだろう。いっそのこと、全ての駅前に角の立たないゆるキャラ巨大像を建てるのはどうだろう。内部を防災備蓄庫とすれば、いざと言う時にも役立ち、説明責任も果たせる。または、古都と東京は除いて自治体カラーを決め、街全ての建物を塗り替えてしまえば、「今日は、『○○色の町』に行ってきたよ。」と会話も弾み、インスタ映えで観光客も増えるだろう。何処も彼処も、自己主張のない画一化された「高度経済成長もどきの街並み」では、外国人が「日本人は、みんな同じ顔に見える。」と言うのと変わらない。バブル時代の「ふるさと創生一億円事業」の二の舞にならぬように、より効果的に地域が一丸とならなければならない。
勝手な主張ばかりしてしまった。つまり、「また、いつか、ここを、訪れたい。」と思える機会が減ってきているのは、何処に行っても日常と同じ生活ができるほど、日本が狭く・豊か・便利になったからに違いないが、ひょっとしたら「日本ばかりにいないで、世界を見なさい。」という御告げなのかもしれない。
(2018年10月28日@nortan筑紫平野の西の稜線に沈む夕焼けは美しいかった。やはり、日本は自然で勝負だ。)