お盆の送り迎えは、日本ならではの風習らしい。日本古来の先祖信仰と結び付いてできたようだ。子どもの頃、提灯のろうそくに火を点けて竹の長い柄を持ってお墓との間を往復することが楽しみでもあり、ご先祖様を感じる2日間でもあった。キュウリの原産地がインド北部、なすの原産地がインド東部であることを考えると、魂は本当に天竺との間を往復しているのかもしれない。往路は「キュウリの馬」復路は「なすの牛」だから、三蔵法師に負けぬ長旅をして帰ってきてくれることになる。お坊さんにお願いして盂蘭盆会経をあげてもらうことも風習だが、まだ墓石も建設中、檀那寺は持たないと決めた。位牌と遺骨に「じいちゃんは、ここにいる。」と線香を供え、いつもより長く胸に手を当てた。近くには、妻が供えてくれた、好物だけど病気のため長年ひかえていた和菓子。そして、じゃがりことカフォーレ。昔、元気だった頃に買ってもらっていたものを娘が供えてくれていた。どうしても、○○しなければならないという風習は薄れていく。しかし、日本古来の先祖への心は変わらない。「これでいい。」と目の前が滲んだ。私の時も、これでいい。(2018年8月18日@nortan戦前生まれで、カフェオレをカフォーレとしか発音できない父だった。)