「どうして、家族でもないのにおじさんのことを『おじさん』と呼ぶのか分かる?」これは、最近視聴し始めた海外ドラマで、母親が父親の本業を娘に暗示させるセリフだ。家族を「(イタリアン)ファミリー」に置き換えると、どういうことか分かってもらえるだろう。民法には親族の定義(血族6親等以内+配偶者+姻族3親等以内)はあるが、家族の範囲は定められていない。また、法律による適用範囲もさまざまである。だから、同居=家族から氏家=家族、世界一家(人類)=家族まで、すべて家族の考え方であってよい。第5回全国家庭動向調査(妻を対象とした家族であるために重要だと考えることの割合)では、「困ったときに助け合う(1位)」「精神的なきずながある(2位)」「互いにありのままでいられる(3位)」が上位を占め、「血のつながりがある(4位)」「日常生活を共にする(5位)」「法的なつながりがある(6位)」「経済的なつながりがある(最下位)」が続いている。このことから、現代日本人の家族とは、「自然と助け合うための絆を感じられる存在」のことだともいえる。一方、5年に1度の国勢調査では、単独世帯数が毎回増加傾向にあるそうだ。前回調査でも約10%の増加(65歳以上が約4分の1/国勢調査)であった。若者の貧困や老人の孤独死が問題となっていることとも無関係ではなさそうだ。このことを含めて考えると、私たちが「自然と助け合うための絆を感じられる存在」の範囲は意外に狭く、玄関を出ない。「ちょっとお醤油をかして下さい。」とチャイムを鳴らすよりは、コンビニに並んだ方が気安い時代。どうやら、物質的豊かさや便利さが「家族」の範囲を狭くしているようだ。さて、精神的な絆に玄関を開けさせるにはどうしたらよいだろうか。地域にスポーツチームを結成して共に応援する。愛される地域ゆるキャラをつくる。食堂つき公共銭湯をつくる。地域SNSで交流の場をつくるなど、いろいろ新しく「つくること」が思い浮かぶ。(政略なら外敵をつくるのがよいかもしれない。)そうだ。その前に大切なことがあった。ファミリーのボスではないが、まずは地域の中で「おじさん」と呼ばれることだ。(2018年7月15日@nortan)