成人年齢を2022年度から18歳ヘ引き下げる民法改正法案が可決された。「欧米諸国に合わせて」とか「若者の自立を促す」とか後からついてくる理由もある。そもそも、民法は国内法であるし、自立は年齢到達で達成できるものでもない。例えば、プエルトリコは14歳、ネパールは16歳、シンガポールやアルゼンチンは21歳である。また、明治9年太政官布告第41号で20歳を成人と定める以前は、11~16歳で男子が元服、女子が元服(裳着)を行っていた。農村では18~19歳で成人となることが慣例であったようだ。もし、生物学的な理由があるのなら身体的成熟によって個々に成人するべきだろうし、社会的な理由があるのなら何らかの試験に合格した者から順に成人すべきである。さらに、平均寿命が延びていることを理由にあげれば、成人年齢を引き下げるのではなく「引き上げる」ことの方が論理的に妥当である。江戸時代に平均寿命50歳で15歳なら、今は平均寿命84歳で25歳である。日本の労働人口減少が理由ならば、将来は15歳成人へ引き下げられるかもしれない。結局、時代や国内事情によって決めるのだろう。そうだ。「成人届出制度」はどうだろう。義務教育を終えたら25歳までの間に家族と話し合い、本人の成人となる覚悟を尊重して「成人届」を共同提出する。納税・勤労・教育などの義務や選挙などの権利、職業選択などの自由と選択に伴う責任、自立することの意味など、成人について深く深く考える機会にもなるはずだ。数年前に何処かで「今が楽しければいいしぃ。」「政治なんて興味ないっす。」という新成人を嘆いて「今の年齢は昔の7がけ。28歳でようやく昔の20歳(成人)だ。」と聞いたことを思い出した。そもそも、子どもは「早く大人になりたい」と夢みるものだし、大人は「もっと子ども時代を楽しめばよかった」と後悔するものだ。ならば、「子ども(離成人)届」も必要だ。定年齢まで働いた後、社会的義務を猶予され、余生で第二の子ども時代を楽しめるなら、未成人も成人も離成人も納得だろう。つまり、「同一年齢一斉成人制」より「異年齢成人選択制」の方が自立と責任を促せはしないだろうか。そうすれば、働き方改革など社会の枠組みに関する議論を大切にする成人ももっと増えるだろう。
(2018年7月7日@nortan全国的大雨災害を心配して)