整理とは不用なものを捨てながら整えることで、整頓とは捨てずに整えることである。1年間使わなかったものは捨てるべきだとの「整理術」をよく聞く。しかし、なかなか捨てられない私は「整頓術」使いだ。先日、整理術使いの妻と「1年間使わなくても、2年目に使かうかもしれない。」「なら、4年に1回のオリンピックも捨ててしまえ。」などと問答になった。しかし、遺された者に負担をかけることを考えると、先立つ者は整理術も身につけておかなければならない。整頓術使いの私の完敗だ。さて、東京オリンピックは既存施設利用の省エネ型で開催地を勝ちとった。それでも、オリンピックで建設された施設の多くは整理されてしまう傾向が強い。後の維持費が高くつくようになるからだ。かつて敗政が赤字になることで不人気だったオリンピック開催は、1984年ロサンゼルスオリンピック以降、商業化によって開催都市に大きな利益をもたらすようになったが、今ではその当ても外れるらしいし、テロ対策も大変だ。いっそのこと、開催地を取り合うのではなく、財政に苦しむギリシャで古代オリンピックのように4年に1回ではなく毎年開催するという案はどうだろうか。または、種目ごとに開催地を世界中に分散固定して、毎年インターネットで多次元中継する案はどうだろうか。国境を越えた往来(交流)も活性化し、より「世界はひとつ」の理想に近づきはしないだろうか。そうなれば、整頓術も整理術に1勝できるかもしれない。(2018年6月12日@nortanまずは勝ち取った2020TOKYOの成功を願って)