88、蝸牛

アーノルド・ローベル作「ふたりはともだち」。かえるは、親友がまがえる君への手紙をかたつむり君に託す。かえるとの約束を一生懸命に果たそうと丸一日かけて届けるかたつむりくん。そして、手紙を待っていた二人が「ああ、いい手紙だ。」と感心する。手紙を一度ももらったことがないと嘆くがまがえるを元気づけようとしたかえるの行動。手紙を出したかえるの方が先に到着して、二人で手紙をのんびり待つ場面を裏読みすると、「既読なのに、すぐに返事がこないと親友でなくなってしまうSNS文化」を皮肉っているようだ。一方、かたつむりの行動は、太宰治の作品メロスに重なる。ならば、このかたつむりこそ主役でいいと思うが、脇役である。「手紙は、第三者に配達されてこそ意味があるが、第三者が主役になってはいけない。」のだろう。さて、我が国にひと月前に投函し、ひと月かけて元日に届けてくれる年賀状という文化があるが、やめる者が増加傾向にあり、電子メールやSNSに置き換えられつつある。形式的な年賀の挨拶よりも、ひと月前の〆切りもなく写真や音声を添付できる電子サービスに時代が反応しているのかもしれない。しかし、手紙でもらった嬉しい知らせは、電子サービスにはない喜びがある。何度も読み返したり、文字や筆運びから相手の思いを感じ取ったりできるアナログの良さがある。何より、いつまでも大切に箱の中に保管しておける。そこで(筆不精であることは横に置いておいて)提案。「電子メールを手書きにする。」そして、「送信から受信を、距離によって1~7日かける。」「プリントアウトしないと消えてしまう。」を採用してはどうだろうか。SNSのトラブルも減るだろうし、届いたろうか・届くだろうかと待つ楽しみも増える。それなら、手紙かFAXにすればいいのかもしれないが、デジタル文化推進派としては、昔のアナログには戻れない。さて、実現させるために親切な「デジタル左巻き蝸牛くん」を探すことからはじめよう。(2018年5月26日@nortan日本の蝸牛がほぼ100%右渦巻であることを知って)

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