86、シューズ

靴を履く習慣は、東西限らず紀元前からある。イスラエルに訪れた首相が、夕食会で靴に入った(靴を象った皿に入った)デザートでもてなされた?!イスラエル国内から、「靴を脱ぐ文化である日本人に失礼。恥ずべきだ。」と報じられた。イスラエルの首相が「出されるまで知らなかった。」とコメントしたことからも、怒りを表現してもよかった出来事であったのだろう。それとも「二国で共に平和の道を歩んで行こう」という粋なメッセージだったろうか。結局「首相夫妻は、デザートを楽しまれた。」と笑顔の写真が、創作料理人として有名なシェフのSNSにアップされ、誰にとっても大事には至らなかった。さて、西洋では、日本を靴を脱ぐ文化だと区別しているようだが、西洋人も靴を脱ぐだろうし、世界には靴を履かない文化もある。問題はどこで脱ぐ(履く)かなのだろう。「土足で心の中に上がる」これは、表現の仕方に違いはあれ、世界中で嫌うことだ。文化は違っても、自他の区別はあるからだ。ならば、靴を脱ぐ(履く)境目は、自他の「心の境界線」だと言えないだろうか。西洋人はベッドであり、日本人は玄関である。首相が怒りを表明しなかったのは、ベッドよりも家の方が広かったからだと思えば納得もできる。心の広さを示したのか、武士道を貫いたのかと日本人である私は思いたいが、靴が発明される前や靴を履かない人は、靴のデザートをどう思うだろうか。(2018年5月13日@nortan日本人の誇りを思って)

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