77、事実と真実

人類が地球の住人であることは事実である。地球が太陽を回っていることは真実のようだが、何十億年も先には過去の事実になる。それでは、真実とは何か?1+1が2になることが真実だろうと結論づけようとしても、砂場で小さな砂山を2つ作って合わせれば1+1=1となる。「それは、ないやろう~。」と言っても、話の土台が違えば真は偽・偽は真である。コペルニクスが地動説を唱え、ブルーノが無限の宇宙と神の偉大さを信じ、ガリレオが望遠鏡で発見した科学という信仰も、良き疑う心を持たない者にとっては中世の異端審判と変わりない。真実(真理)を追究する科学ですら、良疑心なければ単なる事実となる。科学的には、真実は「誰からも、過去も未来も変わらないこと」事実は「今、起こっていること」と解釈できる。そこで土台を科学から哲学に変えれば、事実には「客観的」がつくことがあり、真実には「私にとって」がつくことがある。だから、事実は「ひとつ」真実は「人によっていくつも」あるように感じる。探偵アニメで「真実はひとつ!」というセリフがあるが、これは「(逆に)真実がたくさんあるけれど本当はひとつなんだよ。」ということなのだろう。私たちが事実と真実をいろんな解釈で使っていることは間違いないが、この混沌を何とか解決したい。そもそも、事実と真実は同じことなのではないかと根本的に解決を試みようとしても、事実=fact、真実=truthと受け入れられない。しばらく考えて、「どちらも私たちが追い求めているもの」と考えたが、事実は「時に、それから目をそむけたくなることもある。」と思った。そうだ。「事実と真実は違う!これが事実(真実)だ。」という解決はどうだろう。日常生活に事実や真実の追究はあまり必要ないか?また出発点に戻ってしまったが、今日は大晦日、明日からは1年の再スタート。お後がよろしいようで。(2017年12月31日@nortan)

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