76、お笑い

上り階段で思わずこけた時、「大丈夫?」と声をかけたりかけられたりすることもあるが、怪我がない場合には「くすっ」と笑ったり笑われたりすることもある。互いの関係性や、意外性が引き出す笑いだ。「何で笑うんだ!」と怒ることも容易いが、「ちょっと躓いちゃった。俺も年だなあ。」と返す方が紳士的だ。そこで「笑い」について考えてみた。昔、土曜8時に毎週のように楽しんでいた番組では、こういったズッコケの笑いが多かったように思う。また、その後のお笑いブームでは、奇抜な格好をして破天荒なことをしたり、相方にツッコミを入れるコントや漫才が一世を風靡した。それは、お馬鹿タレントという呼び名を生み出した。クイズ番組などで如何に変に間違い「お前、あほか!」と言われることでテレビに映り人気を手に入れる。つまり、これらはズッコケたり変な格好をしたり馬鹿を演じたりすることで笑いを取る『ピエロの笑い』である。次に、落語や漫才、かけ問答など話を聞き終わった後に「そう来たか!」と納得させられてしまう『落ちのある笑い』だ。これは、笑わせようとする者と笑ってやろうとする者とが話の世界を共有しなければならない。古典落語などは、時代を超えて私たちを楽しませてくれる。そして、最後に『風刺の笑い』だ。歴史教科書で日清戦争をロシアが眺めている絵を見たのが最初だったと思うが、今でもビジネス誌で海外新聞が大統領を風刺しているイラストを見ることがある。これは権力に立ち向かう世論の笑いだ。このように考えてみて、笑いには方向性があることに気づいた。弱者・職業タレント・強者…など。最近、「誰も傷つけないネタ」と自負する漫才師や「権力に立ち向かうネタ」に挑む漫才師がニュースのネタになっていた。真の笑いは、何処に向けるべきか?そう考えて、もうひとつの笑いを思い出した。階段で躓いたり、タンスの角に足の小指をぶつけたりしても、なかなか笑えないが『笑う門には福来たる』。もうすぐ新年。笑いを過去の自分に向けて、新しい自分に生まれ変わろう。それなら、誰も傷つけることはない。(2017年12月28日@nortan)

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