74、最初と最後の思考

難題に出会った時、それをいかに解決しようと考えること。これを「思考」と定義する。誕生後に不安感や空腹感を泣くことで何とかしようと考えたのが「最初の思考」だったかもしれないが、泣くこと以外の選択肢を考えた記憶がない。つまり、これは本能であり、最初の思考ではない。それでは、最初の思考は何だったろうか?思考には、必然的にいくつかの選択肢が必要だ。それがなければ「運命」である。この選択肢を手当たり次第に何億通りも試行し、数秒間で最善策を見つけ出すのがAI(コンピュータ技術)である。私たちが思いつける選択肢はせいぜい数個だろうから、コンピュータをうまく使いこなせる「プログラミング的思考」が必要だという時代になってきたのも頷ける。論理的に前提条件を整理し、演繹法や帰納法、推論といった思考ツールを活用して解決方法を見つけ出す思考が「プログラミング的思考」で、決してコンピュータでプログラミングする技術ではないらしい。例えるなら、旅に出る場合、いくつかの道順と交通手段の組み合わせの中から最短時間かつ最低運賃を決定することがプログラミング的思考で、行程表を作る技術ではない。そう言えば、スマホのアプリは目的地と到着時刻を入力すれば、瞬時にその両方をやってのける。昔は、見開き地図の路線図と時刻表で時間をかけながら「何時発に乗って、乗り換えに何分、次の電車はどれにしようか…」なんて思いを巡らせていたことも必要なくなった。プログラミング的思考はプログラム言語を覚えることではないと安心したが、可笑しいことにプログラミング的思考が必要だと言う一方で、私たちの思考は益々必要なくなってきているようだ。未来は、脳に埋め込んだコンピュータがいくつかの選択肢を決定し「A・B・C」の三択や「Yes・No」の二択で難題も解決できるようになるかもしれない。それならば、私たちに必要な能力は「思考」ではなく「選択力」だ。ならば、ここ数年増える一方のクイズ番組を視聴しなから「選択力」を鍛えようと思う。ついに、私にとって最初の思考が何だったかは思い出せなかったが、未来の人類にとって「最後の思考」は「思考チップを脳に埋め込むかどうか?」になるのだろう。そんな世界を想像してゾクッとしたのは、私の「思考」のせいだろうか、それとも「本能」だろうか?(2017年12月27日@nortan)

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