72、数学的思考

空想の世界で友人に出会った。「3+3=3だ。」と言う。では「1+1=1になるのか?」と尋ねると「そうだ。」と言う。それでは3+3も1+1+1+1+1+1で1になるではないかと考えて…気づいた。この世界で、たし算は平均計算なのだ。そこで、「4+3は?」と尋ねると、「4+3=3+4で、私は3だ。」と返ってきた。「私は?」「あなたは、4だ。」「えっ、3.5にはならないのか?」「そうは、しない。」「しない?」また、分からなくなったので「算数の話だろ?」と問うと「ちがう。この計算は、小さい時に徹底的に教わる。私が3か4になるかは場合による。自分では損を取って相手に得を与えるからだよ。」厳密には平均ではなく、分けあい・ゆずりあい算なのだ。一緒に歩きながら他の計算についてもきくと、たし算・ひき算は『分け愛算』で、私の世界のたし算・ひき算は『自分算』ということが分かった。街並みをよく見ると、ビルの高さも凸凹でなくそろっている。現実の世界にもどる電車にも特急・普通の区別もない。この世界には、都市と地方の格差や老人の孤独死なんて問題もないのだろう…。友人と分かれてそんなことを考えていると、目覚ましが鳴り、現実の世界に戻った。私たちの世界では「道徳が教科となり、教師に『あなたは、思いやりがあるとかない』とか評価されるようになる。」と聞いた。子どもの評価を気にして、「3+3=と聞かれたら、先生の前では何とこたえるの!」なんてやりはしないかと気になったが、一方、私たちの心は押し付けに負けるほど柔じゃないとも思った。そう言えば、友人がショートメッセージで「戦争ってどんなこと?」と尋ねてきたので「一方的に強い者が、大切なことを決めつけることだよ。」と返事しておいた。さて未来の世界は、子育てと教育に…いや、社会のしくみに、いやいや、数学的思考にかかっているようだ。(2017年12月16日@nortan)

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