話し方を意識した方がよいとアドバイスを受けた。そこで、自分の話し方を客観視してみようとしたができなかった。あらためて「話し方」は無意識の技であると実感した。技術的・表面的に変化させるのではなく、自己の内面から変えることが大切なのだろう。まずは、無意識という心の部屋で遠慮がちにソファに腰かけている『話し方』という名の分身に対話を試みた。「大丈夫かい?」これでは、弱々しい。「おい、自分。自信がないのか?」まだまだだ。「こら、俺。何やってんだ!」これでは、「話し方」を追い込んでしまうかもしれない。「話し方」からは返事がない。すると突然、「話し方」がソファから立ち上がって反論してきた。「しばらく、話すのをやめたらどうだ。」これで、ようやく対話らしくなってきた。「それでは、仕事にならない。」「二人三脚で歩んできたではないか。」「語尾が上がったり下がったりするのは、自分の弱さを隠しきれてないからだ。」「その気になれば、どんな話し方でも演じてやれるよ。」「それでは、自分が何だか分からなくなってしまうだろう?」と、ここまで対話して気づいた。何やってるんだ。そんなことを気にしているからいかんのだ。大統領選にでも立候補するつもりなのか?役者に転職するつもりなのか?すると、「ようやく、分かったか。」と「話し方」はソファに腰を下ろした。語尾の変化は、私の生き方に関係あるようだ。今度は『生き方』との対話を試み(心見)ようか。(2017年11月3日@nortan)