人の数だけ想像力はある。2025年の予測世界人口は100億。想像力の「数」は大台を越える。しかし、一つひとつの大きさが小さければ、果てしなく広がる草原に等しい。その中から空に向かった「大木」を育てなければならない。広がりと同時に高さも必要だ。地球のリセットボタン周期は、約1億年のようだ。前回はユカタン半島に隕石が衝突した。太陽系外縁部を覆う隕石群から定期的に隕石が降り注いでいて、地球大接近する周期が約2000万年、衝突する確率が1/5、つまり約1億年なのだと想像する。(己羅夢12:地質年代)現在はロスタイム、いつリセットされても不思議ではない?と想像しながら、最近のリセット発言を想う。リセットと言えば「生命はひとつ。ゲームのようにリセットできないから大切にしょう。」や「やる気はリセットできる。さあ、頑張ろう!」と使うことができるだろう。何がリセットできて何ができないのかは、単純ではなく哲学的かつ宗教的でもある。生まれ変わりを信じれば生命(魂)はリセットされるかもしれないし、やる気の減退を脳内化学反応の老化(変化)だと証明されてしまえばそう簡単にはリセットできない。先日「日本をリセット!」と書かれたポスターに出会った時、何時代にリセットしたいのかと違和感を覚えた。平安時代の貴族の世?戦国時代の武士の世?明治の富国強兵の世?それとも縄文時代?と自由に想像力を広げる分には楽しいのだが、リーダーの言葉として真面目にとらえると重い。ピカドンが落とされたあの時代をリセットしたいと願うが、時間の矢は戻らない。結局、気持ちを切り替えるために「リフレッシュ」の意味で使う分には罪がない。 焼き畑は「草の力」を利用した農法である。草が育てた肥沃な大地こそ「豊かな収穫」を約束する。ところが、化学肥料の発明でそんな面倒なことはしなくなった。草の力は利用されるのではなく、抜かれるものになった。同様に「草の根運動」は、たくさんの草の力を合わせて一本の「大木」(リーダー)を育てる運動といえるが、最近のリーダーは草の力に頼らずにメディアによる知名度という化学肥料に頼っているように思う。それは、ポスターでしか見たことのない候補者に一票を投じている自分にも原因はあるのだろう。そして、「自分も抜かれたのだ。」と想像する。さて、地球のリセットもロスタイムに入った。100億の力を結集して、科学・政治・文化など多様な「大木」を育てなければならない。人口爆発は、「神様が、人類を次のステージへと引き上げる発明・発見(イノベーション)の先頭に立ち、新しい世の中を創造できるリーダーの出現に賭けているのだろう。」と想像する。この期待に応えられなければ、我々の文明は、線香花火の最後の火玉となるかもしれない。まるで宇宙から見た夜の地球に輝く都市の灯りのようだ。私は何をリセットしなければならないのか、と想像して「いや、守らなければならないのだ。決して抜かれはしないぞ。」と草の心を燃やしてみた。(2017年10月28日@nortan明日の台風22号を心配しながら)