60、新「踏み絵」

時に、大自然の中で神秘性を感じたり、神仏像を通して人智を超えた存在を感じたりすることは、私たちにとって「自然な感性」だと思う。種子島に鉄砲と伝来し、広まったキリスト教。大名までも改宗したことで危機意識を高まらせた徳川政府が信者をあぶり出すために行ったのが「踏み絵」。考案したのは、オランダ人だとか日本人だとかの説があるようだが、神仏像(偶像)を大切にする日本人の心を知り、それを巧みに利用したことを考えると、オランダ人説はちがうのかもしれない。そもそも、キリスト教は偶像崇拝を禁止するのだから、それを理解していれば「踏むことをためらう」必要もなかっただろう。理解していても…と言うこともできるかもしれないが、生命大事の観点からは「生の道」を選択すべきだったろうと、現代社会に生きる私たちには理解できない当時の人々の苦悩を想う。さて、踏み絵を拒否するか・受け入れるかが、重い決断であることはいつの時代でも同じようだ。新「踏み絵」では、生き残るために信念を曲げて踏んだ者も踏ませてもらえすらしなかった者もいたようだ。また、「踏むことをためらった者」が「踏んだ者」より、生き残る可能性が高まったとも言われている。「400年の時を隔てると、言葉の意味も変わるものだ。」と感じるのも、これまた「自然な感性」なのだろうか。(2017年10月19日@nortan)

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