夢は見るものか・語るものか・歩むものか・変わるものか・つかむものか・託すものか。そもそも「夢」は、眠りに落ちた時に現れる「幻想」でしかなかった。人知を越えた力が、人間に「見させられるもの」だった。私たちは、その内容が正夢とならないよう、また、なるように両手を合わせた。実現しないというネガティブなイメージを感じるのは、それが根底にあるからだろう。それが、明治時代に「Dream」と出会った。「実現させたい目標」というポジティブなイメージが流れこんできた。海外へ活動拠点を移し、4257安打という大記録を打ち立てたイチロー選手。「夢」を「Dream」に見事変換させ続けている。日米合算数ゆえに様々な評価があるのも理解した上で、その先を見すえている。夢は見るものでなく「通過するもの」だと語りかけてくる。さて、Dreamには「自分に実現させる力があるか。努力し続ける力があるか。」の視点が不可欠だ。また、「次の目標地点を設定する力」も大切である。子どもの頃、何度も繰り返し見ていた「念じるだけで空に浮かび、進むために必死にクロールしいる夢」では、前者が欠けているし、そもそもどこへ行こうとしていたのだろうか?偉大な選手が、その名のごとく「1」からはじめて辿り着いた「4257」にも「2」があり「3」があった。次の目標は「50才、5000安打」と聞く。今回の4257は、1億2000万人が「ともに見させてもらった」夢だ。記録を破られた偉大な選手1人に、それを祝う懐の大きさがなくてもいいじゃないか。さて、私の「1」は何なのだろう。今晩、夢に現れるよう両手をあわせてみよう!?(2016年6月18日@nortan)